THE GREATEST SHOW-NEN『おしりと御飯』感想

 


【舞台の感想】
出所をきっかけにヤクザから足を洗い、社会に適合しようと四苦八苦する主人公・義理堅木人情(ぎりがたきにんじょう)。公園でホームレスたちと交流したり、老人ホームで揉め事を起こしヘルパーに助けられたり、居酒屋で慣れないアルバイトにミスを連発したりとその過程は困難を極めるが、周囲の人との交流と生来の素直で真直な性格で挑んでいく。そんな人情の目の前に度々現れる謎の人物。夢と現実の世界、もしくは過去の記憶と現在とを撹乱するように、扉を開けて現れ、扉を閉めて去っていく。果たして人情が見ているのは夢か現か幻か。そして謎の人物の正体とは一体。

 

不思議な世界観で、終始笑いとカオスに包まれた楽しい歌喜劇でした。結局全ては人情の頭の中で起こっていたことだったのか、果たしてヒョウ柄の人物は現実のものか、それとも人情の記憶と執着から生まれたものか、真剣に理解しようとすればするほど、おふざけのような歌や芝居に笑かされ、翻弄され、何もつかめなくなる。そのはぐらかされる感じすら楽しいな〜と思ったのでした。

 

ヒョウ柄の人物とは誰か】
タイトル「おしりと御飯」は自分を捨てた母親におしりを叩かれながら白米を食べるシーンに象徴的でした。ところどころで象徴的に登場するご飯と、ヒョウ柄の謎の人物。夢と現実、意識と無意識、過去と現在、フィクションとメタフィクションが交差する難解な作品において、まるでそれを解き明かす手がかりかのように随所に置かれたそれらのポイントに、観客の意識は自然と向いていきます。

最後にヒョウ柄の人物は人情の母親であったことが発覚するのですが、それにしても、ミステリアスかつ強烈なキャラでした。このキャラからどのような意味を解釈すればいいのだろう。

思い出される人情の最古の記憶は、母親に捨てられた家族による悲しみの食卓の記憶です。母親への執着が彼の無意識のうちに存在し、しばしばそれは夢の中で謎のヒョウ柄の人物という形で発露する。ヒョウ柄の人物は母親であることが判明し、「なんで俺らを捨てた」と問う人情に対し「好い人ができた」「でもあなたたちのことはずっと愛していた」と告げる。ご飯を食べる人情に対し彼女は箸の持ち方が悪いと叱り、人情は母親におしりを叩かれながらご飯を食べる。そして舞台は振り出しに戻り、彼は改めて出所する。出所後は白米を食べる、と心に決めて。

ヒョウ柄の人物が本当に人情の母親だったのか、彼が創り出した幻想なのかはわかりません。しかし、彼は御飯を通じて悲しい過去を克服し、そして心を入れ替えて未来を生きようと決心したわけです。

ここで思い当たるのが、フロイト精神分析学における「超自我」という概念。

超自我(スーパー・エゴ)とは、文化的な内在化された規範を反映したものであり、主に、両親が子供に案内したり子供に影響を与えるために、子供に教え与えたものである。

(Wikipediaより)

ざっくり言えば、人間が欲望のまま奔放に生きることがないのは、この超自我(規範)を内面化していて、それが自分の欲求や空想や感情や行動を批評したり禁止したりするから。フロイトによれば、この超自我を自分の中に取り込むことは、親の影響を自分の中に取り込むこと、親と自分の同一視を成功するということ、だそう。通常は幼少期にエディプスコンプレックスを克服し獲得されるものであるとされるのですが、人情は幼少期に母親が不在であり、それができなかった。それが、世間知らずの元ヤクザというキャラクターに現れているのではないでしょうか。ここで思い出されるのは、謎のヒョウ柄の人物(=人情の母親)が、人情を箸の持ち方が悪いと叱りつけ、おしりを叩いていたこと。彼女は人情に世間の常識やルールに適合しろとしつけるわけです。また、母親の愛を感じることがなかった人情に「ずっと愛していた」と告げる。人情の人生に欠けていた母親からの愛としつけの埋め合わせがなされる。これにより母親との同一化=超自我の内在化を果たした彼は、晴れて大人になる。つまり、ひとりの大人になり損なった人間が、過去を克服し、超自我を内面化し、大人になる。その過程が、ヤクザものが足を洗ってカタギになるという物語のサブテーマとして描かれているのではないかと。そう感じました。

 

そういえばおしりと御飯というタイトルも、なんとなく、フロイトの心理性的発達理論における口唇期と肛門期を思わせるな~と思いました。

 

【規範と御飯】

人情は監獄からの出所をきっかけに心を入れ替え、極道という独自の規範に縛られた社会を抜け、一般社会に参入します。しかし作中では、その一般社会も規範や不条理によって支配されているものだということが生生しく描かれていました。「正しさ」が支配するはずの社会で人情を待ち受けていたのは、貧困に苦しみ社会の周縁に追いやられたホームレスとの出会い、職場内イジメ、経歴差別、居酒屋でのブラック労働などです。人情は、監獄から出所しても、そうした世間のしがらみから逃れることはできないのです。まるで社会全体がひとつの監獄であるように。

そして、私たちもまた、同じ社会の檻に収容されている囚人なのではないでしょうか。

思い出すのは、最後の看守の謎のセリフ「囚人は刑期を終えれば出所できるが、我々は一生ここから出られない」。この場合の「我々」は刑務官たちのことだと思っていたのですが、観客を含めた「我々」なのではないかと、じわじわ気付いていきました。

 

そして作中、随所に見られたのが舞台「レ・ミゼラブル」の冒頭、ジャン・バルジャンが脱獄する前の服役シーンからの引用です。冒頭の囚人番号のシーンと、ブラック居酒屋の従業員が机を引くシーン(これしか気が付かなかったんですけど、もっとあったのかも)。レ・ミゼラブルというお話も、脱獄した囚人がその後もフランス動乱の時代の荒波に揉まれ苦悩していく話でしたよね。

(そして、ジャン・バルジャンの罪は「たった一つのパンを盗んだこと」。これは関係があるのかどうかわかりませんが、ご飯と罪というつながりを感じました。)

ジャン・バルジャンが逃れることができなかった檻が、革命の時代の貧困や格差といった社会的・歴史的な檻だとすれば、人情が逃れることができない檻は「社会規範の檻」なのかもしれない…と思いました。社会の「普通」から逸脱してしまう弱者や異端なものを「逸脱」であるとして迫害・排除する社会。

だとすれば、そんな檻の中にいるとも知らず「外国」性を劣等なものと見なす人情の滑稽さが浮き彫りになるな、とも思いました。思い出すのが、人情がやたらと「白米」にこだわっていたシーンです。白米を日本の誇りであるとして特別視し、他の「外国」的なモノを徹底的に下に見ていた人情。ベトナム料理やハクビシンなど、「外来」のものを拒絶していました。そうした排外的・ナショナリズム的思考、自分たちと違うものを劣ったものであるとして蔑視し排除する思考は、しかしながら、人情自身を苦しめる社会の視線と非常に近しいものです。「元ヤクザもの」という肩書により、社会から排除される人情。そうした構造に組み込まれているも知らず、自身もまた他人を蔑視する、その愚かしさや滑稽さ。そうしたものも読み取れるのかな~ なんて思っていました。

 


調べたら劇団「マサ子の間男」が2014年にやっていた舞台だそうで、しかも本家のほうはさらに「おしり」を全面に出していたそう。本家も見たら、また解釈も違ってくるんだろうな。

 

 

【番組の感想】
終始楽しい歌喜劇でした。なんと言っても主演の小島くんが見事にハマり役だったな〜と。彼の無骨で荒削りながらもまっすぐでピカピカ光るような演技が、人情という人物にハマっていたなと感じます。不器用だが真っ直ぐで心根の優しい、しかしその正直さゆえに社会復帰に悪戦苦闘する元ヤクザと、歌が苦手なりに模索しながら主役を演じる小島くんが重なり、見終わる頃には人情頑張れ!という気持ちに。あとは、社会の中のヤクザものという違和感が醸しだすおかしみと、ジャニーズという集団の中で「変人」と評され愛される小島くんの立ち位置も妙に重なりません?愛すべき違和。元ヤクザとか、カタギじゃない硬派な役、もっとやってほしいな!
今回だけでなくこのグレショーを通して思うのは、小島くんの演技が心にまっすぐ届いてきてとても好ましいものだなということと、彼は本当に舞台映えする、華のある人だなということです。高い身長や長い手足、はっきりとした顔立ち、ゆったりとした動き、そして妙に目が離せなくなるちょっとした違和感。そういえば青木さんちでも、小島くんばっかり見てました。きっと役者としてこれからどんどん良くなるのだろうなと思うと本当に楽しみです。

小島、福本両者は「歌が苦手」ということで、歌喜劇というジャンルに挑戦するには苦労もあっただろうけど、終わったあとに「楽しかった」「成長できた」「歌喜劇を選んでよかった」と晴れやかな顔で口々に言っていて本当に良かったね〜となりました。私はAぇ最大の強みのひとつは歌声の豊かさにあると思ってて、小島福本両氏の歌声も大好きなので、今回の稽古を通じて少しでも苦手意識に変化が生じたのなら素敵だな…と思ったのでした。そんで本当にふたりともぐんと上手くなってたし。とくにたいちぇの高音の伸び、音のハマり具合が全然違う!KWANIさん最高です。


福本くんの純真な好青年ヘルパー役もはまってたな。彼は全てのことに対して日々地道ながら着実にレベルアップしていて、こんなに応援しがいのあるアイドルもいないだろうと常々思っています。仕事と学業の両立はただでさえ大変だろうに。歌もだけど、お芝居も見るたびに生き生きとしたものになってきていて、これを目撃しているのはファン冥利に尽きるな感じるのでした。改めてグレショー、最高の番組だな。

 

そして正門さんの色気のある演技!今回はボレロに合わせて踊るヒョウ柄の服に身を包んだイモータン・ジョーみたいな謎の人物役。こんなにアクが強い役なのに、正門さんが喋ると湿っぽく、色っぽい。初登場時の「しょーもない」「帰れ」、ゾクッとしたな。声を張り上げているわけじゃないのにぐっと惹き込まれるつぶやきに胸をわしづかまれました。

 

そしてこの舞台の縁の下の力持ち、佐野くん末澤さんリチャくん、そして高木さん。リチャ末佐野3人は器用であるがゆえにフォーカスの当たる回はなかったけれども、技術的に本当にすごいことをオールマイティにさらっとやりのけていて、本当にすごい(語彙…)。普段からこの3人は何にでも高得点をしれっと出す人々ではあるけれど、今回みたいな複数の役をこなす劇だとより一層それを感じました。3人ともコメディが上手いこと上手いこと。特に末澤さんのコミカルな演技が大好きなんです。嫌味なヘルパーの上司とか最高でしたね。嫌味で尊大な小物役の演技をさらっとこなせるジャニーズがどれだけいるんだよって話ですよ。リチャくんもつくづく芸達者だな〜と思います。自販機をあんなにダンディーにキュートにこなせる人いる?全部全部良かったんだけど、とくに冒頭の刑務所のシーン、リチャ末の掛け合いが最高でした。なんとあれリチャくんのアドリブということで、コメディの天才なの?(本番になると「楽しくなっちゃって」アドリブが増えたということで、この生粋のエンターテイナーめ…舞台の上に立つために生まれてきたのかよ…強心臓…と思いました)素人なりの浅い所感なんですが、コメディってテンポ感が大事なイメージがあり、そうした間合いが軽快であるほど面白いと思ってて。そこへ冒頭のリチャ末シーン、テンポ感が天才だしふたりの息もぴったりだしでめちゃくちゃ面白かったです。この器用で舞台映えするオールマイティな最強カードがグループに3枚揃っているって凄くないですか?勝ち確?
あとは3人の歌声。人情出所時の見送りシーン、ハクビシンの歌、めちゃくちゃ綺麗なハーモニーに終始うっとりしていました。特に佐野くんの高音と、リチャくんのバリトン!リチャくんの!バリトン!!プロのお墨付きということで、どうか本格的にアカペラに挑戦してくれないかな………。

 

 

今回も裏側含めて本当に楽しい楽しい鑑賞体験をありがとうグレショー。つくづく素晴らしい番組です。次の舞台も楽しみ!