Aぇ! groupがエビ中カバーコンサートをしたようです

※この記事は、20☓☓年に(私立恵比寿中学とAぇ! groupのオタクである私の脳内で)開催されたAぇ! group のエビ中曲カバーコンサート「私立Aぇ比寿中学大学芸会」のセトリをレポートするものであり、完全なる創作物です。そのことをじゅうぶん頭にいれたうえで、よろしければ下にリンクを載せたプレイリストを再生などしながら、この妄想ライブレポートを生暖かい目で見てください。

 

music.apple.com

 

 

 

天高く馬肥ゆる秋。すっかり肌寒くなり、楽しかった夏のドリアイの記憶が遠い昔のことのようです。しかし、凍える体とは裏腹に、私の心はこれまでになくアツく燃え上がっていました。大好きなAぇ! groupが、またまた大好きな私立恵比寿中学・略してエビ中のカバーコンサート「私立Aぇ比寿中学大学芸会」を大阪城ホールにて開催するというのですから。大阪ビジネスパーク駅を降りると、辺りは浮足立つオタクでごった返していました。はやる気持ちを抑えつつ、スマホで曲の復習をしつつ城ホに向かいます。「紅の詩」やるかなあ、やってほしいなあ。

 

デジチケを発行し、席に向かいます。やばい、アリーナ通路脇3列目、今日が私の命日になるかもしれません。まだ誰もいないステージにバンドセットが組んであったことから、隣のオタクが「一曲目何やるんだろうね?」「半世紀優等生やるかも!」と盛り上がっていました。五五七二三二〇はやらんでしょさすがに、などと思ってると開演時間。緊張が高まります。

 

1.「春休みモラトリアム中学生」

そうきたか~!って感じじゃないですか!?モラトリアム中学生バンドバージョンめちゃめちゃかっこよかったです。冒頭の「春休みモラトリアム中学生」by末澤の射るような視線のキメ顔とオタクの叫び声でボルテージは最高潮に。佐野「恋の面積きみと二人証明してみたい」と正門「居残り授業きみとふたり答え合わせをしたい」が良かったですね。あと間奏のリチャ末のヘドバン。C&R楽しい~~~~

 

2.「HOT UP!!!」

またまたアツいバンド曲来ちゃいました。TOTALFLAT提供曲。真山パートの正門くん、めちゃめちゃハマると思ってましたが案の定でした。たいちぇなんか、もうりったん(中山莉子)に見えちゃうもんな。かほりことかもうビバちぇだもんな。

リチャ「ああ あの頃の私たちはきっと大切なことを見失っていたね」

末澤「ああ これからは誰にも負けないよ あなたがくれた魔法光の指すほうへと」

これ向かい合って歌うときやばくなかったですか?2曲目に来るエモさじゃない。

 

3.「ゼッテーアナーキー

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引き続きバンド。これAぇのデビューアルバムに入れてほしいとちょうど思ってた曲だったのでやってくれてうれしかったです。アナーキーでコミカルな6人組にぴったりの曲じゃんね。おいおいおいコールめちゃめちゃたのしい。

 

4.「Family Complex」

正門「狂い咲く光の花 この体に流れる血が語りかける」

末澤「時を止めたのは誰か 永遠の持久走」

ダブルセンターの堂々たる歌い上げ、痺れましたね~~

歌詞中にメンバーの名前が入ってる時点でエビ中版Stray dogsですから、そりゃあAぇ担全員好きです。岡崎体育、Aぇにも曲書いてくれ~~

 

5.「スーパーヒーロー」

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エビ中屈指の名曲、頑張る人の心にそっと寄り添ってくれるような、力をくれるエモ曲です。どんな困難に対してもあきらめずに頑張る六人組にぴったりの曲。「少し涙しても強く信じたいな 今ここがスタートライン」、いつ見ても染みる歌詞だけど、今は特に染みるなあ。

 

6.「春の嵐

こちらも非常に心に染みるエモ曲。本家エビ中も関ジャムの歌唱力がすごいアイドル特集に二人も選出されるほど歌唱力に定評があるけれど、Aぇの歌唱力もたいへん伸びしろがあってレベルが高いと思うんですよ。リチャ末、こじまさや、ドーキーズが背中合わせになるの、いいよねえ。

 

7.「そろそろくるぞ」(トリオ・ザ・インフルエンザ)

 トリオ・ザ・コロナウイルス(末澤・小島)

今の時期、手洗いうがいを徹底して感染予防に努めることが大切です。ジャニーズの「Wash your hands」に匹敵するエビ中の感染予防ソング「そろそろくるぞ」、せーちゃんけんちゃんのユニットでお送りいたします。いやさっきまでの流れとの温度差よ。自由奔放な「イケイケせーちゃん」と冷静沈着な「けんちゃん先生」の掛け合いが非常にかわいらしかったですね。せーちゃん園児服着てるしけんちゃん先生エプロンしてるんだもん、そんなんオタクが好きなやつじゃん…前にいた末澤担が身もだえしてました。けんちゃん先生におんぶされるせーちゃんめちゃめちゃ可愛かった。

 

8.「宇宙戦争宣戦布告」(Micro Mix Mountain) 

 Massan Mix Megawinker (正門・福本)

ドーキーズのユニット曲、たぶんこの日一番消費カロリー高めでした。観客側もめちゃめちゃコールして声枯らしてた。正門さんはバチバチイケてるギターソロ、たいちぇは暴れまわるし走り回るし、とにかく激しかったし楽しかった~

 

9.「金八DANCE MUSIC」

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まずはとりあえず↑リンク先の動画を見ていただきたいのですが、めちゃめちゃ楽しそうじゃないですか?本家の動画からも、この曲がどれだけ盛り上がるか、たいちぇがどれだけ高く飛んでオタクをざわつかせたのか、銀テ乱れ撃ちにオタクがどれだけ混乱したか想像していただけるかと思います。(あんだけ銀テあれば転売の相場も下がるだろうしさすがに転売ヤー涙目やろ(笑)と思ったら終演後早速転売されてて殺意でした)

ひな壇座ってちょっと見切れたらカメラにアピール完璧なのはリチャくん。金曜8時に家でカレーなのは佐野くん。みかんが腐ったラップは小島。あこがれのステージに立ちたいのは正門。Aぇ魚肉ソーセージCMは末ちぇでした。

終盤の畳みかけるような草間「Mステ!」佐野「出たい!」草間「Mステ!」佐野「出たい!」草間「Mステ!」のコンビ芸に師弟…とエモくなっちゃいました。黄緑コンビは癒されるのはアイドルの鉄則ですね。(余談ですが、筆者はエビ中の師弟コンビ。Aぇのくさまさや、嵐のにのあいと、とにかく黄緑コンビを好きになってしまう傾向があります)

 

10.「でかどんでん」

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急にみんなサングラスつけ始めたと思ったらサイレンが鳴り響き、なんとコンプライアンス順守刑事 feat. 犯罪者草間 が登場しました。また会えるとは思ってなかった。ゴリゴリダンス曲嬉しい。こういう曲はやっぱりリチャ末が大優勝しますね。

 

11.「踊るロクデナシ」

これもまあ草間リチャード敬太さんがかっけえんすわ。Mega Shinnosukeの提供いいな~~

エビ中の良さには、本人たちの魅力やパフォーマンス力の高さは言わずもがな、楽曲の良さが挙げられます。まず提供陣がめちゃめちゃ豪華ですので、気になった方はぜひ調べてみてください。

 

12.「愛のレンタル」

少し切なさを帯びた大人っぽくておしゃれな愛の曲です。真山パートの正門がとにかくハマってた(二回目)。こういう湿っぽい曲、正門くんに合いますよね。正門くんがさア、「返してくれるなら 愛してみせるのに」って切なげな表情で歌うんですよ。

マイクスタンドで歌うタイプの曲なんですけど、移動がないぶんひとりひとりの表情であったり、手の動きであったりがモニターではっきりわかって目が離せませんでした。マイクスタンドの扱いって女の扱いっていうじゃん(絶命)

 

12.「曇天」

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(マジのマジに歌われたら一生拗らせちゃうのでこれが私の妄想でよかったと思うばかりです)(歌に出てくる相手を末澤くんで想像すると無事死ねる)

草間「純粋で退屈な映画も全部わかってあげられる気がしてた」やばくなかったですか?吉澤嘉代子提供曲です。

 

13.「光年の愛」(おひたし) 

 おつけもの(草間・佐野)

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くさまさやユニットは、伝説のユニットおひたし(廣田あいか柏木ひなた)の「光年の愛」です。とにかく歌唱力と歌唱力の殴り合いが見たかったので人選にはスタオベを贈りたい。でもぜいたくをいうならさのすえでも見たいし、草マカロン良規でも見たいし、リチャ末で見た日には死んでしまうかもしれない。リチャ末「何億光年先の日までもあなたを愛そうこの空の下で」とか、重い?大丈夫そ?

 

14.「制服”報連相”ファンク」

リコナカヤマのぶっとんだファンク感が福本くんによって再現されていました。首の曲がり方がすごいな。

 

15.「EBINOMICS」

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まずは上の映像見てほしいんですけど、「制服"報連相"ファンク」からの楽しい楽しいつなぎの部分、そして「EBINOMICS」の天才的な流れ。もはやぽーちゃん(小林歌穂)が小島に見えてきませんか?コジマのガチのリップシンク、死ぬほど面白かったです。あのコジマが目の前に来ても笑いを耐えられる正門くん、やっぱモノホンのやべ~やつなんだなって思いました。

歌割りはこう

画像

 

 

16.「オメカシ・フィーバー」

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ハロプロ感のあるめちゃめちゃ楽しいアゲ曲です。それもそのはず、作詞児玉雨子先生だもん。「私が好きな私だけを好きになって」は、1番末澤、2番草間、3番福本でよろしくお願いします。たいちぇ=りったんの法則は健在。

 

 

17.「放課後ゲタ箱ロッケンロールMX」

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盛り上がりが最高潮に達した前半戦を締めくくる曲。みんな声帯死んでないかな?

ヘドバンの首のしなり具合はやっぱり福本くんが一番すごくて大丈夫かよ…となりましたね。

画像

 

 

 

MC

ようやく前半戦が終了しました。すでに17曲やってる。さすがに放課後~はきつかったようで、みんな肩で息してました。オタクもコールに気合入れすぎて声帯が死んでいたので、いったん休憩。

 

 

後半戦

 

 

ニコント「Aぇ! groupオジサン化現象」

 ~18.「元気しかない!」

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ニコント「Aぇ! groupオジサン化現象」は、最近メンバーがたるんでてオジサン化していることを危惧した最年少佐野晶哉が、みんなに気合を入れ直すという内容です。バンド曲なので一番の途中までバンド体制で普通に演奏するんですけど、途中で晶哉ちゃんがブチ切れてドラムスティックを投げちゃいます。迫真の「みんな元気なくないっすか!?」におじさんたちは「え~元気やんな~?」「めちゃめちゃ元気やで〜〜」とぽやぽや返します。正門「俺も最近お腹周りがたるんできてんねんなあ、」に会場からちらほらガチの「ヒィ…」が聞こえたのが面白かったです。「元気しかない!」は、宮藤官九郎提供によるコミカルなギターロック曲。元気がなけりゃオジサンになっちゃうよ~ということが楽しげに歌われています。私の人生の目標は、いつかクドカンにAぇの6人主演の連続ドラマの監督をやってもらうことです。

 

19.「PANDORA」

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引き続きバンド曲。メタルです。姫ポジ末澤くんのハイトーンボイスが光ります。小悪魔末澤姫に一生振り回されていたい。さすがにリチャ小島正門は結構出すのがつらそうな音域でした。

 

20.「イート・ザ・大目玉」

引き続きバンド、またもや末澤くんの魅力大爆発な曲です。「人間だもん、やめろとか言われるとベイベー フリなんじゃん?って気がしちゃう、先天性のSでソーリー」ってあの可愛い顔で歌われてみたかったんですよね~。ハモリがかっこいい。

 

21.「青い青い星の名前」

 引き続きバンド曲、爽やかなギターロックです。あれ私真夏のロッキン来てたっけ、くらいの気持ちの昂り。ひたち海浜公園でのエモーショナルな夕暮れが思い出されるようですが、がっつり城ホです。エモーショナルなことには変わりはないけれども。

 

22.「日進月歩」

楽器を置き、いよいよラストスパート。

「現実と夢の間でいつもしゃがみこんだ だけど手を差し伸べてる誰かがいるんだ」「未来過去現在失敗を繰り返して僕ら 学んだことより強いレベルへインプット」「つまずいたその先に咲く 名も知らない花は」「何度でも立ちあがれるって信じてくれてる」「誓った夢に正直にならずしてどうだ」「胸張れ張れ いつか叶うはずの夢かざして」

応援してるアイドルにこんな力強い曲歌われてみてください。一生ついていくよ…という思いを新たにします。

 

23.「星の数え方」

先日のAぇのZepp公演、全員椅子に座ってのバラード曲「アメフリ→レインボウ」があったと聞きました。ドリアイ公演での「名脇役」に引き続き、歌唱メインの曲もセットリストに盛り込むんだなあととてもうれしく感じたのを覚えています。やっぱりアイドルといえど、歌うこと、表現することに真摯に丁寧に向き合ってほしいと思うもの。昨年度のアイドル楽曲大賞を受賞したこちらの「星の数え方」も、メンバー同士のハモリがとても美しいバラード曲。(何かしらの間違いでいいからいつかAぇさんたちに本当にカバーしてもらえないかなあ)

 

24.「ジャンプ」

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 「期待通りで思い通りの人生じゃつまらない」「毎年増える蝋燭 穴ぼこの空いた心におめでとうって言いながらはしゃぎまわってジャンプしよう」「夢は見るんじゃない掴め」「おとぎ話じゃ終われない」なんとなくAぇのバックグラウンドともリンクして胸が熱くなる曲です。先日の安本彩花生誕公演で彼女が披露したアカペラバージョンが非常に素晴らしかったため、Aぇもアカペラでしてください。佐野くんの好きな石崎ひゅーい提供曲。

 

 

最後の挨拶 小島の号泣

 

 

25.「シンガロン・シンガソン

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ラストソングです。Mrs. Green Apple提供の非常に明るくてどこか切ない門出の曲。バイバイなんて言いたくないけど終わっちゃうみたいです…さみしいなあ。この6人と過ごすことのできる楽しい瞬間が永遠ではないからこそ、とても尊くてキラキラきらめいて見えるのかもしれないな、などと考えながら涙ぐんでいました。最後の「あなたとSing a song」でみんなが客席のほうを指さしてくれるものだから…

 

 

アンコール

 

 

26.「MISSION SURVIVER」

KEYTALK首藤提供のコミカルパーティーブチアゲソング。福本くんのみならず、Aぇ総出で怒涛の一発ギャグメドレーと共にお送りします。「乳酸菌 乳酸菌 腸内環境超正常」、たいちぇのギャグ史上一番面白かったのではないだろうか。

 

 

27.「ほぼブラジル」

意味わかんないけど楽しくて切なくて大好きな曲なんですよね、これ。楽しくてずっとこうしていたいけど終わっちゃうのがさみしい、遠い記憶のなかの夏休みの景色を思い出します。

 

28.「響」

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どんなに厳しい現実が目の前にあってもステージに立つことを止めずに、ただただアイドルであることを続けてくれる6人組。心の底から楽しそうに、顔をぶさいくに歪めながら全力で歌い踊る、かっこよくてかわいい6人組をこれからも応援し続けたい。 あ~~~好き、私はエビ中もAぇ! groupも大好き、という気持ちがあふれ出し号泣。まだまだ6人がつくるステージをここから見ていたいから、どんなことがあってもついていかせてくれ。

 

 

 

 

 

 

 というわけで完全フィクションでお送りしました「私立Aぇ比寿中学大学芸会」、あまりにも私立恵比寿中学とAぇ! groupの親和性が高いものだから、もうすでにカバーコンサートが開催された気になってしまった人も多いのではないのでしょうか。よければ私立恵比寿中学の他の曲、もしくはAぇ! groupのオリジナルのパフォーマンスを観て、この二組の妄想コラボセットリストを私に提供してくださいませ。

 

 

 

 

「狼青年」についての諸考察

 

 

青年期は、多くの異なる場面や状況において、自分とは何者か、自分は何になりたいのかについて考える時期である(アイデンティティ自我同一性)の確立)。その過程で、自分が何者かが分からず悩む(役割の拡散・混乱)。

エリクソンの漸成的発達理論 | 看護師の用語辞典 | 看護roo![カンゴルー]

 

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謎のボーイズグループHoney Beeのデビュー(?)曲「狼青年」が発表され、ネットがざわついています。その謎めいた正体もさることながら、作詞作曲が女王蜂のアヴちゃんということで、話題が話題を呼んでいる状態。女王蜂にプロデュースされる蜜蜂、痺れますね。曲もめちゃめちゃかっこよくて興奮しました。

 

 

歌詞も、かっこいいうえに考察厨の血がたぎるようなテーマです。ありがたいことにアヴちゃんが全文掲載してくれていました!いてもたってもいられなくなったので、さっそく自分勝手に解釈してやりますよ。

 

おとぎ話モチーフ

羊飼いの少年が、退屈しのぎに「が来た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。だまされた大人たちは武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、本当に狼が現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村のは全て狼に食べられてしまった。

(中略)

人は嘘をつき続けると、たまに本当のことを言っても信じてもらえなくなる。常日頃から正直に生活することで、必要な時に他人から信頼と助けを得ることが出来るという教訓を示した寓話であると一般には受け取られている。

 出典:嘘をつく子供 - Wikipedia

 

イソップ物語における「オオカミ少年」は、嘘をつき続けると誰にも信じてもらえなくなるよという寓話です。そこから派生して、嘘を繰り返す人物のことを「オオカミ少年」と呼ぶようになりました。

歌詞の中に登場する「狼少年」も「心ゆくまで嘘を吐く」ということで、この「オオカミ少年」に対応するのではないでしょうか。そのほかにも、「臆病なフリ」「不実な心」「嘘吐き呼ばわり」「窓辺に映る嘘」「嘘で手繰り寄せてゆく」など、「オオカミ少年」を想起させるような単語が並びます。

 

しかし、その他にも童話的エッセンスは至る所にちりばめられています。

「きみを護る狩人」という言葉からは、童話「赤ずきん」に出てくる狩人が思い起こされます。

赤ずきん - Wikipedia

おばあさんと赤ずきんを丸呑みし、満腹になって寝ていた狼のところに偶然狩人が通りかかり、狼の腹を切って二人を救出したというお話です。力なきものを護る大いなる力、権威、父性といったイメージが想起されます。童話内では狩人によって殺されてしまう狼ですが、歌詞の中では「きみを護る狩人はとっくに美味しく、ね」とあるように、どうやら食べてしまったようです。強い。また、PVの衣装も赤いフードで赤ずきんぽかったですね。

 

また、「煉瓦の家さえ吹き飛ばして何処へだってふらり」という言葉からは、童話「3匹の子豚」の狼が思い浮かびます。

三匹の子豚 - Wikipedia

童話では煉瓦の家を吹き飛ばすことができずに子豚たちの前に敗北してしまった狼ですが、この歌の狼は煉瓦の家さえ吹き飛ばすというのですから、強い。

 

このように、多くの童話的モチーフが見つかりました。しかし、この曲の中の狼は狩人を食べてしまったり、煉瓦の家を吹き飛ばしてしまったりと、お伽噺のお決まりのエンドをことごとく覆します。「おとぎ話ならいつか落ちる雷」とありますが、きっとこの曲の世界では落ちないでしょう。おとぎ話における狼は悪や嘘、暴力、欲望、誘惑の象徴で、恐ろしいもの、憎むべきものとして登場します。なんとなく、この曲ではおとぎ話的な狼のイメージの克服が行われているのだと思われます。

 

イヌはオオカミが飼い馴らされて家畜化したものと考えられている。

オオカミ - Wikipedia

 

「狼少年」と「狼青年」

曲中に登場する「狼少年」と「狼青年」。一番気になるのは、やはり「狼青年」とはなんぞやということではないでしょうか。分けて書かれているということは、その二つの間にははっきりとした違いがあるということです。一般的に考えると、男性は少年期を経て青年期へと突入しますから、「狼少年」は成長すると「狼青年」になるということでしょうか。ではここでいう「成長」とは何なのか。

狼少年、もう一度駆け出したらもう帰れない

たとえ誰の涙が胸に光っても

遮るものなどなにもない 不実な心が眠るまで

このまま彷徨い続けてゆく僕は、狼青年

これがサビになります。句読点を挟んで最初に「狼少年」で始まり、最後に「狼青年」で終わっています。まるで駆け出して彷徨っているうちに時が経ち、成長し、少年が青年へと変化したような印象を受けます。

「少年」と「青年」という異なる、しかし連続する二つの存在。このように二項対立関係に置かれているものがもうひとつ、それは「僕」と「俺」です。

 

「僕と俺」の使い分け

「僕と俺」とを使い分けて

心ゆくまで嘘を吐く

怖いものを知らない真実が冷たく光る

 

歌いだしから登場する「僕と俺」。歌詞をそのまま読めば、この人は「僕」という側面と「俺」という側面の二面性があり、それを場面によって使い分けているのだろうかと推察できます。「僕」は男性の一人称で柔らかな印象を受けます。また、どちらかというと子供らしい印象です。一方の「俺」は力強く少しワルな印象を受けます。子供というよりも、もっと成長した男性的なイメージを受ける一人称。心ゆくまで嘘を吐く、ということは、自分の本心とは裏腹な表情を演じるということでしょうか。また、「僕」と「俺」ではなく「僕と俺」という表記なのも何か意味がありそうです。「僕」と「俺」はそれぞれ別の存在、別の側面なのではなく、ふたつが同じカッコにくくられること、ふたつがセットになっているということ(=番になっていること?)に意味がありそうです。

歌詞を見ると、一人称の「僕」「俺」は意図して使い分けられていることがわかります。まず一番のサビの最後に「このまま彷徨い続けてゆく僕は、狼青年」という歌詞が登場します。ここで、「僕」は「狼青年」の一人称だとわかります。

嘘吐き呼ばわりする側で指から煙を奪い取って

本音を吐くきみに、僕も種明かしを

「きみ」と「僕」(狼青年)の情事のあとのシーンでしょうか。「種明かしを」ということは、きみに対して何か嘘をついていた、もしくは何か隠していたけれど、真実を見せるということ。何を隠していたのでしょうか。そのあとの歌詞はこう続きます。

「あいつのキスそっくりでしょう?きみがいつか泣かせた」

さよならは今夜 俺らは街を出るから

怒鳴り声 ドアを背に響く

許さなくていい 窓辺に映る嘘、月

どうやらこの「きみ」は、かつての恋人(? もしくはただ単にキスをしたことのある人)を泣かせたことがあるっぽい。そして、そのキスそっくりなキスをする「僕」。それが「種明かし」なのだとしたら。

またここで、「俺ら」と一人称が切り替わっているうえに複数形になっています。「ら」とは「俺」と誰のことだろう、修羅場っぽいから「きみ」ではなさそうだし、ていうか「僕」どこ行った?「俺」とは誰?

その後に「俺」が登場するのは「牙を出して戯れたい俺首輪なんかじゃ飼えない」のパート。

 

その後、「ふたり番う僕ら、狼青年」とあり、もう一度「僕」が登場します。「僕ら、狼青年」ということで、「ふたり」はどちらも狼青年の様子です。

そして一番最後、

「俺と僕」との隣りあわせ

さぁ、心ゆくまで嘘を吐いて

とあり、また「俺と僕」ふたつはセットであるということが強調されます。しかし、最初が「僕と俺」だったのに対し、これは「俺と僕」、最初が「使い分け」だったのに対し、これは「隣り合わせ」。一曲の間で、いろいろと変化が伺えます。

 

以上のことから、「狼青年」/「狼少年」、「僕」/「俺」の関係、および「きみ」との関係の考察をしてみました。

 

まず、「狼青年」「狼少年」「僕」「俺」はすべて同一の存在であると考えます。仮にXとしましょう。Xは「僕と俺」とを使い分けて嘘を吐き、周囲を騙します。ここでいう「嘘を吐く」は、真実と異なる姿を演じる(performする)という意味ととらえました。そしてXは、「きみがいつか泣かせた」「あいつ」と同一ではないでしょうか。これは、かつて「きみ」に傷つけられたX、かつて赤ずきんに敗北した狼が、そのおとぎ話を克服する話ではないか。Xは「僕」の顔をして「きみ」に近づき、誘惑します。昔傷つけた男とは知らずにXと一夜を過ごすものの、「種明かし」されて「僕」の正体を知ってしまった「きみ」は怒り狂う。そんな怒鳴り声をあげて怒る「きみ」を置いて、Xは街を出ていきます。ただ、これを「復讐劇」と言ってしまうには、恨みの感情や怒りの感情が少ないように感じます。というより、このXはそこまで「きみ」に執着していないように感じるのです。「許さなくていい」とまで言い放ちますし。「きみ」とあっさり決別し街を出る「俺ら」、そして「駆け出し」「もう帰れない」「このまま彷徨い続けて」「安らぎ」を求める。その終着は、「ふたり番う僕ら」です。

ここから考えたことは、この曲は自己肯定の歌、自己愛の歌、自分の中にある負の側面を認め愛することの歌、少年から青年への成長がテーマになった曲ではないかということです。

「俺ら」「僕ら」の複数形は、自分の中にある二面性のことを表しているのでしょう。「僕と俺」は一つのカッコの中に存在しているのです。それは、「かつて傷ついた少年と、傷ついた過去を克服することで少年の傷をいやす青年」なのではないでしょうか。もしくは、「嘘をつくことで身を滅ぼした(おとぎ話の中の)狼少年と嘘をつくことで身を護る(おとぎ話を克服した)狼青年」ということなのかもしれません。この曲の中で、「真実」は「冷たく光る」もの、「本音」は「きみ」が煙草の煙とともに吐くもの。その一方で、「嘘」は安らぎを手繰り寄せるものです。おとぎ話などの力を持った「正しい」価値観の中では否定され、制裁の雷を落とされる「嘘」が、この曲の中では否定されていません。おとぎ話で非難され、嘘つきの烙印を押された「狼少年」を肯定する歌だから。かつて「不実な心が眠るまで彷徨い続けてゆく」と歌った「僕」は、終盤には「不実な心で眠るまで」というふうに、その不実さを否定せず、そのままで生きていくことを腹に決めます。かつて「使い分け」ていた「僕と俺」は、最後にはふたり「隣り合わせ」で「番」になります。狼は一夫一妻制をとり、番になった2匹は生涯を共にするといいます。このように、自分の過去・コンプレックスを否定せず受容し、それと共に生きていくという覚悟をきめたときに、少年は青年へと変化するのではないでしょうか。「狼少年と狼青年」は「僕ら、狼青年」となったのです。

 

 

#アイドル短歌 解説もしくは蛇足1

#アイドル短歌  でツイッターに投稿したAぇ! groupの句の中から、お気に入りのやつの解説のような、セルフライナーノーツのような、言い訳のような何かです。蛇足です。

(2020/6~2020/9/7分の句から)

 

末澤誠也

キャラクター:軽薄気取りの王子様(ほんとは真っ赤な誠を秘めてる)

 

メンカラと名前を入れた句。派手な見た目や「聖夜様」キャラから遊び人、チャラいといったイメージが付随する彼ですが、グループにかける思いや仕事に対する思い、パフォーマンスのクオリティーに関する思いは並大抵のものではないよなあと、インタビューなどを見るたびに感じます。内に燃え滾らせている赤誠が透けて見えるパフォーマンスを観るたびに、ゾクゾクするのです。

dictionary.goo.ne.jp

 

 

赤 お姫さまの好きないちご色 王子の燃える闘志の色

末澤誠也誕生日に寄せた句。「Aぇの姫」と呼ばれている誠也くん、お誕生日の配信でもカメラ目線でかわいらしくイチゴを頬張り、姫っぷりを堂々とアピールしていましたね。でも一旦曲が始まれば闘志を燃やしたかっこいい王子様になるのだから、ずるい。

 

「神様がいじわるで隠した天使、見つかったらしい」ではじまるお話。

末澤誠也誕生日に寄せた句。入所してから「不遇」と呼ばれた時代が長かったらしい誠也くん。実力も華もありましたが、なかなか前にでてスポットライトがあてられるということはなかったそう。厳しいですが、芸事の世界では悲しいかな、ありふれたことでもあります。たぶん神様はお気に入りの天使を見つけるとひとり占めしたくて隠してしまうのではないでしょうか。その天使が見つかった時から始まった物語を見ているのかも。

 

くれなゐの薔薇のかさねの唇にのるのは安いラブソングでも良い

末澤誠也誕生日に寄せた句。与謝野晶子の句、「くれなゐの薔薇のかさねの唇に霊の香のなき歌のせますな」より引用(与謝野晶子 『みだれ髪』より)。「紅の薔薇を重ねたような、赤く、美しく、情熱的な唇で、魂のこもっていないような、超自然的な威力のないような、空疎な言葉の歌など歌わないでほしい」といったような歌でしょうか。でも誠也くんの美しい唇に乗るのであれば、それが陳腐で安っぽい流行りのラブソングだったとしても構わないな、という馬鹿な歌です。晶子に怒られそう。

 

その声は理性や理屈も超えてしまうほんと世も末騒めく心臓 

 

草間リチャード敬太

西の空宵が明けてもひときわに輝く目印を従え

【特集】宵の明星 金星(2019年 冬~2020年 春) - アストロアーツ

 

メンカラを入れた句。「宵の明星」(金星)は、日没後、夜の始まりの時間帯に西の空にひときわ輝く一番星のこと。その美しさから、古代より様々な神話で美の女神の名前が与えられてきた星でもあります。他にも美しい星が瞬く中で、いちばん強い光を放つ、誰もが認識する夜空の目印担当。それってリチャくんじゃん。宵の明星が西の空に輝くのは一年の内でも数か月だけであり、同じ星はいずれ「明けの明星」として、明け方の東の空に観測されるようになります。西にいても東に行っても一番輝いているのはリチャくんだし、私はすぐに見つけるんだろうな、と思って作った句。

 

一度きりチャンスを逃さず射貫く様 視線を集めて行け 頂まで

名前を入れた句。リチャくんの隅々まで神経が行き届いたような隙のないダンスが好きで、一度見てしまうと視線が捕らえられてしまう。そうして見事に落ちました。そのままどうか見るものの視線を奪い続けて、高みを目指してほしい。

 

正門良規

その深い優しさ例えるならば「海」青の静けさ波の激しさ

メンカラを入れた句。正門くんの深い優しさ、底なしの懐は、たまにだだっ広い海を見ているときのような超人間的な恐ろしさを感じることもあるな、と思って。普段の落ち着きと安心感を感じさせる彼は青く静かな海ですが、ギターを演奏している彼は白波の立つ荒れた海のような力強さがありますよね。

 

 準備よし、乗り越えてやる、と思ってたあの壁 まさかどこでもドアとは

 

島健

健やかに勲章の携えてはしゃぐ子みたいな美しいきみ

メンカラと名前を入れた句。彼からは、膝小僧に紫の痣ができていてもお構いなしにはしゃいでいる子供のような健やかさ、無垢な心、眩しさを感じるのです。彼のまっすぐで優しい心を感じるたびに、ああ美しいなとしみじみ感じます。

 

これやこの理解不能な天才を愛してしまう切なさを知る

島健誕生日に寄せた句。「これやこの」は、かの有名な蝉丸法師の句「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」から引用しています。「これが噂に聞いていたあの」という意味。自分の理解が及ばないような天才を愛してしまうことが切ないとは聞いていたけどここまでとはね、みたいな句です。きっと日常の出来事ひとつ、日常の景色ひとつとっても、私の目に映るものと作詞家小島の目に映るものでは大きく違うのでしょうね。何を考えているのか凡人の感性ではわからない人を思うのは切ないけれども、でもその掴めなさこそが魅力だったりする。

 

知っている?クジラが生まれ変わったわけ 海よりでかい夢見たらしいで

島健誕生日に寄せた句。水が好きだし、エイトさんの「クジラとペンギン」が好きだし、「俺の前世はクジラだったのかもしれない」と言っていた小島くんですが、本当にそうだったのかもしれないね、と思って作った句。海では叶えられないような夢を見て生まれ変わってきたのかもしれないね。

 

ガキみたく意固地、負けん気 正解はいらないあくまでこの道を行く

名前を入れた句。「売れるのが正解やとしたら俺と佐野は一生不正解や」(小島の名言その76)が大好きで。誰かが決めたテストで丸がもらえるだけの「正解」など求めなくてもいいから、自分たちなりのやり方で楽しくやっとくれ、ついていくよ…の気持ちで作りました。

 

謎・クレヨン・でっけえやさしさ・ジョーク・夢・可愛い少年「レシピ:小島健

知っている?きみのだっさい泣き顔がこの世で一番美しいこと

ヘイタクシー、紫の光の海へクジラに会いに いま夏は来ぬ

分からないマジかコジマか冗談か きみが最高なことだけわかる

 

福本大晴

6人でいる 幸福も溶け合ってふくらむみたい 青春みたいね

名前を入れた句。6人でいることで幸福がどんどん増幅していく、その青春のきらめきのような時間をファンとしてともに過ごせていることが、とても幸せです。

 

泣き笑いスベって強くなる少年 太陽の熱を瞳に宿して

 

佐野晶哉

長かった嵐も荒野を過ぎるころ芽吹いたに未来をかさねて

メンカラを入れた句。かつて関ジュは「焼け野原」と呼ばれた時代があったそうですが、その時代を知る他の5人にとって、若く才能あふれる佐野くんは、春の訪れを感じさせる新芽のような存在なのではないかと思って。

 

爆音のバスドラ!ギター!の鋭さの間 清けき旋律みたいなアイドル

名前を入れた句。カメラが回ると人が変わったようにボケ倒してメンバーをいじってキレて暴れて、大爆笑を作り出す天才的な彼がバスドラとギターの爆音だとしたら、普段の礼儀正しくおとなしく、丁寧に織るようにしゃべる彼はまるで清らかな旋律のようだと思って作った句。

 

Stray dogs.

暖かい毛布と首輪を引き換えに手にした∞にひろがる世界

野良犬には、暖かい毛布にくるまって安心して眠ることのできる住処もなければ、おいしい餌を用意し、かわいいかわいいと撫でまわしてくれるご主人様もいません。でも、首輪でつながれていない野良犬はどこにでも行くことができる。なんだってやれる。可能性は無限大。

 

騙されない!迷子の子犬の目をしても尖った牙が見えているから

正門くん、まるで迷子の子犬のようなきゅるきゅるの優しい目をしていますよね。無害に見えるのに、ああいう男の人が一番好きになったら厄介なんだよな…。おそらくは牙で仕留められるように、心ごと捕らえられてしまって動けなくなるのでしょう。ああこわい。

 

血統書付きの仔犬に見えますか?研いだ爪でも見せたりましょか

子犬のような表情をすることでお馴染みの佐野晶哉。だけど、お育ちの良い血統書付きの噛まない犬かと思って舐めてたら痛い目にあいますよ。時間と努力をかけてじっくりと研がれた爪はマジもんなので。

 

6匹の野良犬が身を寄せ合ってみた夢 続きは月のみぞ知る

飢えてなお内に気高き血ぞ燃ゆる野良犬 果報は掴み取るもの

ピカピカのワンちゃん横目に漁る餌 腐ったままで終えてたまるか

吠えるよに歌う 暴れるよに踊る きらきらひかるは野良犬のいのち

また会おう生存競争勝ち抜いていつか輝くあの日の下で

 


もんビバ

「おもちゃ箱生まれのヒーロー、旅先でロックと出会う」ではじまる伝記

ヒーローの伝記は、生まれ育ったおもちゃ箱から旅に出た先で、ロックなギター少年と出会った場面から始まります。

 

二人乗り原付き降りて乗り合いのバンドワゴンで旅は道連れ

ドリアイ配信の「罪と夏」もんビバのニケツから作った句。映画「イージーライダー」が好きなのですが、関ジュに公式ユニットがなかった時代を、バンドという独自の武器をもって二人で乗り越えてきたもんビバは、まさに荒野を男二人でバイクで旅するロードムービーのようだな、と。小島の小さいころの夢は「原付に乗ってラブ&ピースを唱えながら全国を旅すること」だったらしいですが、原付ニケツではたどり着けない遠くまでワゴンならいけますし、「旅は道連れ」旅のお供はいたほうが心強いといいますし、連れは多いほうがきっと楽しいですし、おすし。

 

さすらおうブレーメンまで遠くてもさすらう限り夢は醒めない

ロバは意地悪な人間のもとを離れ、ブレーメンに行って音楽隊に入ろうとする。旅の道中で同じような境遇の仲間たちと出合い、メンバーを増やしながら、ブレーメンを目指す。(「ブレーメンの音楽隊」より) あのお話、結局動物たちはブレーメンにはいかず、ブレーメンの道中にあった民家で、楽器を演奏しながら仲良く暮らすんですよね。

 

youtu.be

 


サステインこれは恋でも愛でもないただの夢見の共犯関係

 

ジャニーズにおけるコンビは、熟年夫婦に例えられたり、初々しいカップルだったり、お爺さんと孫だったり、親友だったり、ファンの解釈によって様々に関係性が語られます。では「もんビバ」とはなんだろう、と考えたときに、私は「共犯関係」なのではないかな、と解釈しました。逃げるも捕まるもいっしょ、どちらかが足を洗うまでの運命共同体である共犯者。それぞれの利害の一致のため、そして目的をなすために最適のパートナーのため、いっしょにいる。友情、恋愛、愛情などではないからといってこの関係性がそれらに劣るとは思いません。

ちなみにサステインとは英語で「支える、持続させる」と言う意味の動詞。音楽用語では、楽器の音が発生してから、音が途切れるまでの余韻を指します。音が鳴り止むまでいっしょに夢を見る共犯関係ってめちゃめちゃロマンティックじゃないですか。

 

Break Through

バンドワゴン乗りそこねた似た者同士 旅は道連れ 東を目指して

「バンドワゴン」とは行列先頭に居る楽隊車のことであり、「バンドワゴンに乗る」とは「時流に乗る・多勢に与する・勝ち馬に乗る」という意味の経済学用語である。対義表現は「アンダードッグ効果」。

バンドワゴン効果 - Wikipedia


ギターマン 終わりが来てもきみだけは熱き血潮のリフかき鳴らしてて

配信のブレークスルー演奏で、ギターを弾く正門くんの姿が余りにも眩しかったので詠んだ句。汗の粒がキラキラ光って綺麗だった...。


「そこの人、そろそろレトロな色眼鏡外さな楽しいもん見逃すで?」

リチャくんの歌割り「ステレオタイプはあちらへどうぞ」から詠んだ句。おそらく今まで幾度となくくだらないステレオタイプを押し付けられたり、それによって不快な思いをしたことがあるであろうリチャくんがこのパートを歌うのか...とすごくグッときました。


後ろ指指すならお好きに ほんものの確かな言葉は持っているから

島健のパート「わからず屋って言われたってわからないままいればいいさ 後ろ指指すならお好きにどうぞ」から詠んだ句。周りの人になかなか理解されないような世界観を持っている小島くんですが、いくら変だと言われようと、小島くんにはそのまっすぐな心根から生まれるたしかな言葉の数々があります。それに心を動かされる人は少なくありません。少なくともファンはそう。

 

泥水を啜る覚悟を持つ美学 ライトの下で輝けりゃいい

諦めを延ばした数だけ光る星 残りもんには福あり、いうてな

フォルテシモ いざ踏み鳴らせ宣戦のバスドラ 時代は創り出すもの
公道を外れてけもの道の旅 正解以上の何かに出逢いに

 

 

#Aぇドリアイが楽しすぎた話

 

こんにちは、ねみです。

先日8/24,25に行われたJohnny's DREAM IsLANDのAぇ! groupの公演が本当に最高で、いまだに夢うつつのねみです。

自担・他担問わず公演を見た多くの人に絶賛されている本公演。王子様、不良、ワイルド系、パリピ、関西ジャニーズ、バラード、バンド、わちゃわちゃ仲良しと、Aぇ! groupのポテンシャルの高さを見せつけてくれた公演でした。横山くんがグループ結成のときにテーマとした「何でもできるグループ」になる可能性を各方面に大々的にアピールした公演となったのではないかと思います。

 

以下、興奮冷めやらぬうちに感想文などを書きなぐりたいと思います。

 

【オープニング~シンデレラガール】

突然シンデレラのお話が始まり、間違えて教育テレビでもつけてしまったのかと思い戸惑いました。まさかこれってシンデレラガールの導入だったりして...いやいやシンデレラガールはさすがにしないだろう...などと思っているとなんと出てきたのは6人の王子さまでした!?

浮かび上がる6人のシルエットと、末澤くんの美しい歌声に私のボルテージはいきなり最高潮です。真っ白の王子様みたいな衣装で、穏やかな笑みをうかべてステージに立っているのは正真正銘6人の王子様でした。

Aメロは我らがリーダー小島くんでしたが、本当に王子様が様になる人ですね。ディズニーランドから間違えて出てきたキャストでしょ。彼はこういったキラキラアイドル!が本当はやってみたくって、でも自分のキャラクターを考えてあきらめたというエピソードのある人らしく、なおの事ぐっと来てしまいます。綺麗だよ、小島。小島くんだけではなく、なにかと自分たちをお笑いポジションだと割り切ったり、自虐をしたり、を見ている身としては(それがウケ狙いやキャラ付けの一環であることは分かっているし、そうした立ち位置を楽しんではいますが)、みんな最高にかっこいいのになあと切ない気持ちになることもありました。君がどんなに否定しても本当だから揺るがない「君はとても美しい」という真実♪(SMAP/Dear WOMAN)をテーマソングとしているオタクとしては、メンバー1人1人が堂々と胸を張って主人公としてそこに立っている姿を見て、スタンディングオベーションを送らずにはいられませんでした。言っとくけどこれ一曲目ですよ。その後もネタや自虐に走ることなく、完璧なまでに2曲王子様になり切ってくれました。心から美しいと思う大好きな人たちが自分の美しさを誇っているという震えるくらいの奇跡を味わえるのも、アイドルの現場に行く醍醐味ですよね。この瞬間、間違いなくあなたたちが世界でいっちばん「キラキラ」していました。

 

I wanna be your sunshine~の高音の伸びもとてもきれいで感動しました。みんな歌うまくなってる??ダンスもすごく揃っている????

 

と思っていたら本日島動画のほうにダンス練習風景の動画がアップされていました。配信も終わりロスで放心状態のオタクの心境を気遣って最適なタイミングでこれを出してくれる、なんて仕事のできるひとたちなんだ…。

こちらのほうでじっくりと鑑賞できますが、ダンスの進化を新規でもびしびしと感じることができます...

j-island.net

 

White Love

名曲と名高いHey! Say! JUMPのこの曲。普段愛の地獄で踊り狂っている人たちからは考えもつかないほどの甘くキラキラとした時間が続きます。一公演目はこの辺で脳みそがしびれてきて、ほとんど放心状態でした。甘々に慣れていないAぇ担にいきなり致死量のロマンチックをぶっかけてこないでほしい。アナフィラキシーで死ぬので。

リアルプリンスである小島くんは言わずもがな、福本くんも本当にこういうアイドル曲が似合いますね。またこの真っ白な衣装にかわいらしいお顔がよく映えること。

そして問題の(問題の?)リチャくんソロです。

「何があってもずっと守りたいから」分かりますか?ここでプロポーズされたわけですよ。本当にありがとうございます。なんかリチャくん...跪いてたし。このフレーズにやられて、そのあとの落ちサビすえのりの記憶がございません。ちなみにまだ正気が取り戻せないので助けてほしいです。

 

末澤くんデザインの新衣装もとてもかっこよかったですね。既存の衣装とはテイストの違う、王子様のような清楚で美しい衣装でしたが、ところどころに末澤デザイナーのこだわりとメンバーごとのテーマが感じられて大興奮してしまいました。

 

【夏メドレー 罪と夏】

甘々タイムが終わってほっとしたのもつかの間、夏メドレーが始まります。まずはヤンチャにエイト兄さんの「罪と夏」。楽しかった728の日が思い出されます。あの日から一か月たつなんて信じませんよ。

何の脈絡もなくバイクが三台せりあがってきて爆笑してしまいました。急にバイク!さっきまでおとぎの国にいたと思ったら、湘南のビーチに来てしまったようです。

メンバーそれぞれがニケツしますが、ニケツも組み合わせ次第で変化するのですね。オタクそういうの大好きです。もんビバは安定のもんビバ。さすが長年のシンメ。小島くんのバックハグに生気が宿っていないところも含めもんビバ。さのちぇはとにかく楽しそうにはしゃいでいます。最年少コンビ、可愛いな。問題はリチャ末ですよ。妙に生々しい。雰囲気が湿っぽい。90年代のヤンキー漫画の雰囲気を感じる。ツイッターでも、「リチャ末治安悪い」「リチャ末地元のドンキにいる」「リチャ末ビーチに女ひっかけに行くだろ」「リチャ末ヤンキーカップルじゃん」「リチャ末イチャイチャすんな」「最高」などの意見が散見されました。リチャ末の治安が悪化する瞬間が大好きなので、これからも舞台演出でバイクの導入の検討をよろしくお願いします。

ちびたちもでてきて、ドリアイぽくなってきました!お祭りや!

 

【SUMMER TIME】

好きな曲でテンションが上がっていると、「Aぇ! groupとデートしようぜ!」と言われたような気がしました。いやいや幻聴だろ...と思えば、画面いっぱいに小島健の美しい顔が広がるではありませんか!!!そこから始まる怒涛の美しい顔、顔、顔のアップ...。知ってはいましたが、Aぇのみなさんってイケメンぞろいなんですね…。乙女ゲームのキャラ登場場面とか思っちゃってごめん。そういえばAぇのみなさんってみんなキャラクターも作画担当も異なるし本当に乙女ゲームみたいだよね。ごめんて。

皆さんこれでもかとばかりに甘い顔でウインクなでなで頭ポンポンなどの大技を繰り出してきます。これって世に聞く「胸キュン」てやつ...?リチャくんの美しい顔が間近で拝めて、とても満足します。カラコン本当に発色がきれいだし、大きいお目目に似合ってるね~~~どこのメーカーか教えてほし~~~~~

 

【Sha la la☆Summer Time】

胸キュンデート→ハイタッチと、そういえばドリアイのテーマだった「ゼロディスタンス」をここできっちりと回収してくるAぇのみなさん、仕事のできる人たちですね。

末澤くんがちびジュと一緒にステージ上でぴょんぴょん飛び跳ねていて、非常に愛おしくなってしまいました。

あとマカロンの裏声ハモリが非常に綺麗だった。上質なマカロン案件。

 

【ワッハッハー~WAになって踊ろう】

この夏関西ジャニーズ全体で一番ステージが多かったちびジュたちのステージです。なんだかんだ728の日、春松竹、関ジュ公演、なにわ公演、そしてAぇ公演と見てきましたが、見るたびにちびたちの成長を感じることができて良かったです。とくに伊藤兄弟は、お兄ちゃんのほうはダンスがうまくなったし、弟のほうはダンスから表情から佇まいまで本当に何もかも成長していてびっくりしました。センターの風格を身に着けている...!子どもの成長って本当に速いですね。ジュニアを応援する醍醐味ってこれか。

 

【Party-Aholic】

ちびたちの成長をほほえましく見守る、小学校の参観日の親のようなモードに入っていたのに、急にアダルトなイントロが流れてきたから度肝抜かれました。しかも往年のKAT-TUNみたいな治安がバチクソに悪い衣装を着た輩がせり上がってくるではありませんか。

これこれ!!!待ってた!!!!!

やはりどれだけ王子様に沸こうが、ワイルドな雰囲気をまとったAぇにひときわ大きな歓声を上げてしまいます。オラオラして殺人犯のような目つきで踊るアイドルが大好きなものですから...。

パリアホを踊るAぇさんたちは完全に年齢確認が必要がコンテンツでした。腹チラを6分割画面にしてくれたひとありがとう。リチャくんを下のアングルから映してくれたカメラマンさんありがとう。私が現場にいたら札束を懐にねじ込んでいたところでした。こういうセクシー系の曲はどれだけ自分に酔えるかが大事だと思うのですが、初披露の春松竹Showtime、まいジャニ収録回と比べても、みんなしっかり自分に酔っていて最高でした。とくに福本くんの腹チラと舌ペロは俺の腹筋を見て!って言ってましたね。

 

【Stray dogs】

WESTの神ちゃん提供曲です。メンバーの名前を入れ込んだ、Aぇのために当て書きされた曲です。ジュニアとして報われない時代が長く、またユニットを組んだ現在でもこの先どうなるか不安定な「強者たちが入り乱れる生存競争」のなかで、それでも野心と情熱を失わずに、がめつく泥臭く勝ち上がっていこうとしている6人の「野良犬たち」の歌。胸熱すぎます。神ちゃんの才能をビシビシと感じました。めちゃめちゃかっこいいギターロックです。早く現場でヘドバンしたい...!

当て書きされただけあって歌詞もめちゃめちゃグッとくるんですが、歌割りやダンスのフォーメーションもあっと思うことが多く、何回でも見ていたいと思いました。

とくにダブルセンターすえのりが向かい合って高らかに歌うところは、野良犬が遠吠えで共鳴しあっているような印象を受けました。そして小島くんのソロ。リーダーの周りに5人が集いしゃがみ込み、群れのボスが登場したようです。マカロンのアーチの間から出てきた誠也くんが唸る「Grrrrrr」も本当にかっこよくて痺れました。随分かっこいい野良犬だな。

ただダンスが激しいうえに衣装がめちゃめちゃ厚着なので、一回でもしんどそうです(笑)小島くんヘロヘロでしたね。 初めてメンカラを意識して作られた衣装。ジャニーズにありがちなカラースーツやカラージャケットなどのザ・メンカラ!という感じではなく、黒と毛皮を基調とした衣装におしゃれにメンカラが組み込まれていて、さすがおしゃれ(極小)番長せーやくん。

 

【MC】

最終日のMCは最初から最後までリチャくん祭りでした!神ちゃんからきたラインブロックするリチャくん(知らん人からメッセージ来たらブロックするデキジュリチャくん偉い)。オカンを恥ずかしがる息子リチャくん(オカンを恥ずかしがる思春期息子リチャくんかわいい)。カラコン警察末澤にカラコンを指摘され恥ずかしがりながらもイエイ☆とピースをするリチャくん(ギャルでかわいい)。そして極めつけは草マカロン良規(とっさにマカロンが出てくるリチャくんのメルヘン思考回路解説してほしい)。6人が話してるところ見るの、トークが面白いのはもちろん、仲がいいんだな~とわかって幸せな気持ちになります。1時間ぐらいトークしてくれててええんやで。

 

【リチャくん】

当方リチャ担を名乗っておりますが、完全にパフォーマンス落ちなので、リチャくんが歌ったり踊ったりしてるところ見るたびにどんどん好きがつのっていきます。歌もダンスも好きすぎる。動きの一つ一つに精神が通っているのではないかと思うような丁寧でキレのあるダンスも、ここへきて表現力がますます豊かになりいろんな表情を見せてくれるようになった豊かな歌声も、パフォーマンスのすべてが最高でした。その裏には積み重ねてきた努力と膨大な時間、そしてパフォーマンスに対する妥協をしない真摯な姿勢があるのだと思うと、改めて好きだな~~~と思いました。長い時間をかけて磨かれてきたリチャくんの武器は紛れもなく強いし美しい、まるで職人の手による名刀だなあとしみじみ感じ入っていました。

 

名脇役

自担に歌われたら拗らせてしまうジャニーズ曲No1との呼び声も高い「名脇役」。案の定、配信後拗らせ女子が大量発生していました。生歌で複数公演ならではの表現の振り幅が堪能できたのも良かったです。初日は緊張や堅さがあるなあという感じだったのですが、夜公演はリラックスした柔らかい雰囲気と表情と歌声で、それが叶わない恋への諦めと切なさを感じさせてとても染みました。そして千秋楽、とくにリチャくん、佐野くんは、心の底から感情を振り絞るような歌声と表情で、見ていて胸が締め付けられるようでした。より失恋の痛々しさを感じられたようで、苦しかったです。というよりこっちが失恋です。佐野くんの歌はいつもその歌にまつわるドラマを感じさせて、改めて彼がグループにいることの価値を確認させられました。

 

ちなみにわたしの脇役解釈はこちらになります。

 

j-island.net

【Lil Miracle】

「小島がきもちわるい」(誉め言葉)と話題のリトかんカバーです。愛しのとあちゃんのパートを歌う小島の表情は、嬉しいとかそういう次元じゃなくて「恍惚」としていて恐怖でした。あんなに生き生きとした小島、初めて見ました。とあちゃん、逃げて。

 

リトかんが歌うと爽やかでかわいらしい等身大のラブソングが、Aぇ兄さんたちが歌うと若干治安が悪くなるのも最高でしたね。何十回何百回...の蹴り上げが鋭すぎて笑いました。白馬というより単車で迎えに来てくれそう。

 

シャッフルメドレー神企画だと思うのでこれからもやってほしいですね!グループの新たな一面も発見できるし、やっぱり提供曲はそのグループに一番似合うのだということも確認できるし。Aぇのダイスマも、なにわのパリアホも、リトルのFire birdも見たい!

 

【みんなでワーッハッハー!】

わちゃわちゃメドレー。多好感が半端ないと思ったら、この曲敬愛するつんくさん作詞作曲の曲なのですね。通りで心がBEYOOOOONDSを見ているときのような暖かさになると思いました。

佐野くん扮するよしこをみんなで取り合う…そんで最後に勝つのは小島…良きこじまさやです。こじまさやだいすき。

 

【カンパイ・ソング〜weeeek】

メンバーの5/6が成人しているからこそできた最高の演出、飲酒(のフリ)!未成年の佐野くんはちゃんとちびっこ席でソフトドリンクだったのも信頼が置けました。どうかずっと6人でいてね…まさやちゃんが成人したら6人でお酒飲んでね…という激重感情が湧いてきました。わちゃわちゃメドレーだよ。

weeeekでちびっこたちがとにかく楽しそうでおばさんは涙が出そうになります。

 

【関西メドレー 旅人~LET'S GO WEST~K A N S A I !!~~関西アイランド】

松竹座での関西ジャニーズの歴史を感じることのできるメドレー。昔から応援していた方にとっては涙無しには見れないメドレーでしょう。かくいう私は今年に入ってからの新規なので松竹座にも行ったことがないのですが。いつか行ってみたい憧れの地のリストに松竹座が加わりました。

花道の上で頭を合わせて歌うリチャ末のハモリがすごくきれいで、リチャ末に対する激強感情が湧いてきました。きみたち一生離れないでね。。。

 

 

【West side!!~Break through】

白黒でみるバンド演奏は本当にかっこよくて、PVと見まごうほどでした。エイト兄さんの曲を演奏し、それがエイターさんにも受け入れてもらえていること、幸せなことですね(誰目線?)

やっぱり演奏中のバンドトリオはとても様になっていてかっこいい。3人がお互いの演奏を信頼しあって、心から曲を楽しんでいるのがこっちにも伝わってきてとても胸アツです。正門くん、汗の粒がキラキラ煌めいててすごく綺麗ね。

春松竹で初披露された新曲Break throughも、Aぇのために当て書きされた曲でしょうか。すごく爽やかで、Aぇによく似合う曲だな〜と思いました。きっと今まで何度も諦めることを考えたことがあるであろう6人が、1番で「諦めたくはない」2番で「諦めるはずはない」と歌っているのが非常にグッと来ました。

千秋楽の演奏はその前の2回よりもテンポが走っててハラハラしながら聴きましたが、そんなことも忘れてしまうくらい、みんなが心の底から楽しそうでこちらもハッピーになったことを記憶しています。あの空間の眩しさを形容するのなら間違いなく「キラキラ」だと思います。

 

【ボクブルース】

 ずっと聞きたいと思っていたボクブルースを初めて聴くことができました。作詞小島くん、作曲佐野くんのオリジナル曲。正直、想像していたよりもずっとずっといい曲でびっくりしました。メンバー以外が作っていても素直にいい曲だと心の底から言えるような曲で。小島くんの書く歌詞って柔らかくも真っ直ぐですごく素敵なんだ。

歌は言わずもがな良くて、3回ともきっちりと泣きました。

デビュー5周年で初のドームツアーオーラス公演のような風格を漂わせていましたが、結成2年にも満たないんですよ。ほんとに?ドームツアーのラストでもぜったいに聴きたいので、ついていきます。

 

【アンコール Fire bird~関西アイランド】

Firebirdはまさかのおふざけバージョン。ちびたちもみんな一緒になって楽しそうにキャッキャしていたのが本当に良くて。途中でリトルもサプライズで合流、みんなで関西アイランドを歌って終幕でした。「売れたい」という強い意志をド直球に示してくれるアイドル、とても応援しがいがある。売れような。

死ぬ前の走馬灯は、アンコールの関西アイランドでみんな一緒になってわちゃわちゃしていた、あの映像がいいな〜と思えるくらい、多幸感に満ち溢れた空間でした。Aぇが後輩にも慕われていること、関ジュのファミリー感が感じられてグッと来てしまいました。

 

パフォーマンス、セトリ、茶番、トークと何から何まで本当に最高で、とても1500円で収まるとは思えない配信でした。この忙しかった8月によくもここまで仕上げたなと非常に感動しています。

とくに、セトリがよかったですよね。自担他担問わず、配信を見た多くの人から絶賛されているけど、今までのツアーのセトリのように関西一色で固めても同じ評価が得られたかと思うと正直分かりません。多くのグループから曲を取り入れ、テイストもバンドからザ・アイドルからオラオラ、バラードまでバラエティ豊かに取り入れたセトリの作戦勝ちだったと思います。とくに、今まで挑戦していなかった王子様系のアイドル曲にこのタイミングで挑戦したことも策士だと感じました。ユニット結成時から関西・お笑い・バンド・ワイルドのイメージを全面に押し出し、それが浸透しつつあったこのタイミングであえて王子様に挑戦することで、非常に話題になった。キャラが固定化されてない結成2年以内だから見せられたギャップだと思います。関西担以外の目に触れる配信という機会を活かしたセトリの最適解だったし、長い話し合いをかけてじっくり練られたのだろうと感じました。多くの人に、実力と伸びしろを見せつけられたのではないでしょうか。今だからこそ、このタイミングだからこそできるものをとにかく全力でやってみる。その貪欲さと向上心、そして「売れてやる」というアッツアツの熱意を感じることができた配信でした。

確かに、所々テンポが走ってたし、特に低音域の音程や、声量とスタミナな…と感じるとこもありました。ダンスももっと上を目指せると思うし、バンドに関してももっと練習あるのみだな~と。ただ、そうした粗削りな部分に「未完成の美しさ」みたいなものがあったのも事実で、音程取れてなくても演奏走ってても、心底楽しそうに汗だくで歌って踊って演奏する6人を見ていると、無機質で音程ぴったりな音源じゃ味わえないワクワクを感じることができました。きっとこんなド素人でも分かるようなことは本人たちも分かりきっているだろうし、きっと次会うときはもっともっと進化したAぇが見られる、という信頼があります。なにしろ、24日の昼→夜公演でも色々な修正がされていたし。真面目で、向上心があって、野心もある6人組です。きっとこれから先6人のパフォーマンスはまだまだ良くなるんだなあと思うと、ワクワクが止まりません。この時期のAぇを応援することができて、本当にラッキーな人間だなと思います。

 

 

 

 

 

Aぇ! group を知るための30のフレーズ・前編

 

 

世の中の人間は2種類に大別できる、と聞いたことがあります。

それは、Aぇ! groupの魅力に気付いている人間と、そうでない人間です。

そして前者は、後者に対して「もったいない」という思いを抱えているそうです。

かくいう私も、ほんの数か月前までは後者、つまりAの魅力に気が付いていない側の人間でした。今となってはその頃が遠い昔、前世の記憶かのように感じられます。あの頃の私は若く、浅はかでした。まあ数か月前の話なんですけど。

そしてAの魅力に気が付いて以降、これまで全く興味のなかったジュニア界隈の知識が増え、6やAなどの記号に愛着を覚え、一粒万倍日が待ち遠しくなり、大学時代正門くんと付き合っていたときの記憶が急によみがえり、ワイパーを見ると(おっ、ワイパー)と思うようになり、そして何より日々が楽しく、充実したものになりました。

 

そして来る7/28、多くの人間がこの幸福感を味わうことになるのです。

新型コロナ流行で楽しいことが軒並み中止となっている2020の夏を盛り上げる一大スペシャルイベント、「Johnny's DREAM IsLAND 2020-2025 ~大好きなこの街から~」の開催です。

www.johnnys-net.jp

 

今までAぇ!の存在を知らずにいた、もしくは「名前だけなら知ってる!あのいかにもジャニーさんが付けました、みたいな名前のグループだよね?(笑)Aぇ! groupって(笑)ダサ(笑)」というような5か月前の私みたいな人。そういった人々がAぇ! groupのパフォーマンスを目撃し、軒並み沼落ちしていく姿が見られるかもしれない、オタク待望の日です。

読み応えのある沼落ちブログがたくさん登場するであろう日を前に、いてもたってもいられなくなったオタクは、このあふれんばかりの気持ちをいったん整理しようと思い立ちました。そこで、「Aぇ! group を知るための30のフレーズ」と題しまして、あくまで個人的な好きの気持ちに基づいた、新規オタクが思うAぇの魅力を30個羅列していきました。Aぇを知らない方にぜひ押さえていただきたい、そしてAぇを知っているという方にはそれに基づいて存分に語っていただきたい。そして一つ一つ書いていたらマジでバカみてえに長くなったので、前編・中編・後編と三つに分けて発表したいと思います。

よろしくお願いいたします。

 

では、「Aぇ! group を知るための30のフレーズ」本日のメニューはこちらになります。

 

 

 

1. Aぇ! groupって面白いわ

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それぞれにキャラが強く面白いやつらを6人あつめました!という、美味しいものを合わせたら美味しいに決まってるカツカレー方式でのグループです。キャラの強い人間をひとところに集めれば、何かしらの交通事故が起こるというのが世の常。しかし彼らは何を隠そう、長年関西ジャニーズJrという過酷な環境下でバラエティのいろは、協調性、上下関係をみっちりと叩き込まれた6人組です。結果として、6人集まったときにもっと面白くなる、まさにえぇグループなのです。

 

押すところは押して、引くところは引いて、空気を読んで、トークはオチをつけて、リアクションは大きく、ワイプでも気を抜かない。そうしたバラエティ力の高さと、メンバーの連携を見ることができるのが、関テレで放送中の「なにわからAぇ風吹かせます」と、GYAO!での配信限定オリジナルコーナーの「Aぇコスプレ名言塾」です。

なにわからAぇ! 風吹かせます! 〜なにわイケメン学園×Aぇ! 男塾〜 特集|公式無料動画|GYAO![ギャオ]gyao.yahoo.co.jp

 

何を隠そう私は「Aぇコスプレ名言塾」出のAぇ担。なにわ男子目当てに「なにわから~」を見はじめ、Aぇの面白さに気が付けば沼落ちしていた人間です。とにかく見てください。

 

2. 最終兵器詰め合わせセット

現場に1,2人いれば今日の取れ高は十分だなあ!とディレクターがニッコリしてしまうような芸人...じゃなくてJrが6人も集められています。濃いよ。もし私がエンタの神様のキャスティング権を掌握していれば、「高音ツッコミホスト」末澤誠也、「クールな千枚漬けコメディアン」草間リチャード敬太、「物腰柔らかなツッコミギタリスト」正門良規、「独自の世界観を持つ男」小島健、「なにわのインテリギャガ―」福本大晴、「天才」佐野晶哉~~~!と紹介したい。

ではただのお笑い集団かというとそうではないのです。キャラクター、能力、経歴ともにそれぞれ無二の個性を持っていて、魅力にあふれたアイドル集団なのです。全員が最終兵器。ひとりひとりがFunnyでありInterestingでありUniqueでありThrillingでもあるようなおもしろわくわく福袋、開けてみたくないですか?(?)

 

3. 正門くんとは昔付き合っていた気がする

j-island.net

突然ですがみなさん、大学の時に正門くんとつきあってたときの記憶、ございませんか?私の周りのAぇのファンは4割が「ある」と答え、3割が「付き合っていたのは高校時代だったような気がする」と答え、2割が「今も付き合っている気がする」と答えました。

正門良規23歳、メンバーカラーは青。

リアコランキングNo1の男として、日々ジャニーズオタクたちの脳内に存在しない記憶を植え付けています。

物腰柔らかで、丁寧で、落ち着いていて、穏やかで、優しくて、実直な男(cv.風間俊介)です。不機嫌になることとかあるんですかね?個性豊かなメンバーの中にあって、唯一個性がない、などとよく自嘲していますが、めちゃめちゃに個性的な人間だと思います。MC力、アドリブ力、トーク力、語彙力、適応力、平常を保つ精神力、洞察力、どれをとってもジャニーズJr内で上位に入るのではないでしょうか。正門くんがそこにいるといないとで安心感が全然違うということに気が付いてしまったその日から、あなたは正門良規の虜になっているのです。あとは重力に身を任せ、沼の底まで沈み込んでいくだけ。良い旅を!

 

4. その微笑みはお地蔵さまのよう

ところで私は正門くんのことをどこかお地蔵さまのような人だと思っています。有難い、尊いということだけが理由じゃないですよ。彼の底知れない懐の深さと落ち着きには、通学路のはしに何十年もちょこんと鎮座しているお地蔵様のような、優しさと何か非人間的なパワーを感じ、畏怖の念すら覚えるのです。表はぽやぽやと柔らかく穏やかで、「平穏」を絵にかいたような印象を受けますが、より知っていくうちに、どっしりと重さのある意志の強さ、芯の強さを感じるようになりました。柔軟さや懐の深さって、ブレない自己をきちんと持っているからこそ生まれてくる余裕の現れだと思います。とくに印象的だったのは、「好きなことをお仕事にしたいと思っていた」「大学に行くという選択肢もあったが、学びたいことが明確にないまま進学するよりも、仕事に打ち込もうと思った」というエピソード。なんとなく進学して、何を学んだのか明確に答える事さえままならないまま大卒の資格だけ得てしまった人間からすれば、好きなことに対するまっすぐな情熱と姿勢は眩しくて、泣きたいほどにかっこよく思えます。ほとんど信仰に近い形で強火のファンがたくさんいるのも頷けます。

 

5. 紡ぎ出す言葉の持つ力

正門くんの紡ぎ出す言葉がとても好きです。本人の賢さ、頭の回転の速さ、豊富な語彙、瞬時に面白い語句を引き出しから抜き出す判断力、そしてそれを面白いタイミングで放つ空気を読む力。それらすべてを感じることができる秀逸なツッコミは、切れ味も相当なものです。好きなツッコミたくさんあるんですけど、今ぱっと思い浮かんだのは「青春さもアミーゴさもないやろ。同じ土俵に上がるな。」です。ご査収ください。

ツッコミだけでなく、何気なく発せられる言葉やインタビューなどの言葉にも、本人の柔らかい語り口調とはうらはらに、しっかりと聞いている人の心に残る質量があるなあと感じ、日々心酔している者です。

 

6.全力キラキラアイドル、たいちぇ

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福本大晴(20)、メンバーカラーはオレンジ。

関西ジャニーズジュニアを応援している皆様ならおなじみ、「ワイパーの子」です。

橋本環奈ちゃんが「1000年に一人の美女」として話題になったきっかけの動画があるじゃないですか。歌割りがあるわけでもない、踊りだって後列のほうなのに、手を抜かず、100%全力でめちゃめちゃ表情豊かに踊っているあの動画。たくさんの女の子がいるなかで環奈ちゃんがひときわ目立っていて、一目見たら応援したくなるあの感覚。私は大晴くんに、そのときの橋本環奈を勝手に感じています。お目目もキュルキュルで顔だって同じくらい可愛くない?

シャカリキな踊り、たいして面白くもないギャグをとにかく果敢に全力でこなすハングリーな姿勢、「自分のカメラ割りが多かった」と喜ぶ健気さ、スキルやメンタルにまだまだ伸びしろが見込めるところも含めて、とにかく応援したくなる子だと思っています。この「応援したくなる」って、アイドルにおいて一番重要なポイントではないでしょうか。確かリチャくんがAぇでいちばんアイドルができるのは大晴だ、というようなことを言っていましたが、まさにその通りだなあと思うわけです。

 

7. 真面目で聡明な現役大学生、福本くん

j-island.net

 

関西ジャニーズ初の国公立大学生として、クイズバラエティーなどに数多く出演しています。「インテリギャガ―」の名は伊達じゃない。普段は声がでかくてハイテンションで、お笑いキャラなのかなと思ってしまいますが、言動の節々からまじめで努力家なのだろうなということがわかり、ときめいてしまいます。とくに私がいいなあと感じたのが、ファンにあてた手紙をジュニアが朗読する企画、Happyレターの大晴くん回です。

 

youtu.be

この動画がアップされた時期は今年の5月初旬。コロナ流行下で「自粛警察」なんて単語も聞かれるようになって、他人の苦しみに対する想像力の欠如からくるトラブルから、社会全体がギスギスしている感覚がありました。疫病の蔓延ももちろん悲劇だけど、相互不信が強まって思いやりのなくなった不寛容な社会になってしまうことも悲劇です。そんな中で、生活のため自粛できない人もいることに言及したり、助け合いと思いやりに言及し、あなたも助けを求めてもいいんだよ、「ダサくてもいいから生きることが大切」という力強いメッセージを発信した大晴くんの手紙は、すごく温かいものだなと感じました。聡明さと心の優しさが感じられます。

ちなみにこのHappy Letter、Aぇ! groupの皆さん全員分めちゃめちゃ良いので、ぜひとも聞いてください。6人の柔らかな声が疲れ切ったあなたの心にゆっくりと染みわたり、温泉のような安らぎ効果が期待できます。カウンセリング効果絶大だともっぱらの噂です。

 

8.小生意気なハタチの野心家、大晴

国公立大学生でインテリポジションを狙うために休業してまで懸命に勉強にはげんだり、Aぇ加入に伴ってバンドをやるためにベースを一から覚えたり、スベっても場違いでも果敢に一発ギャグをねじ込んだり、モテるために筋トレにはげんで体をバキバキに仕上げたり...。そういう、いろんなことに欲張りに情熱を向けることのできるエネルギー、自分の武器を身に着けて強くなるんだという野心が、とにかく眩しいのです。等身大のハタチらしくときに生意気で自信たっぷりなところも愛おしいというもの。 その太陽のように燃える闘志を宿した瞳でシャカリキに踊るんです、一目見れば応援せずにはいられないでしょう。

 

9. 複雑に絡み合う矢印

ジャニオタが大好きなコンビって、そこにあるかどうかという存在論の話ではなく、そのコンビが認識されるかどうかだと思うんですよね。同グループ内のタレントを2人抽出し、それがコンビであると認識されれば、それは立派なコンビであるわけです。そしてひとたびコンビになれば、萌えポイントなんて後からジャンジャンわいてくるのです。可能性は無限大、大切なのはコンビを見出すこちら側の認識能力と、そのコンビに沸き上がることができるオタク力なのです。

というコンビ論は置いておいて、Aぇ! groupはどの2人を抽出しても美味しい魅力的なコンビにあふれています。どこから食べるかはお好みによりますが、

・付き合いの長さは10年以上、ほとんど公認カップルのリチャ末(末リチャ)(草間・末澤)

・こちらも長い付き合い、凸凹シンメのもんビバ(こじまさかど)(正門・小島)

・同い年の親友、大学生感あふれるビバちぇ(けんちぇ)(小島・福本)

・あざとい最年長にまんざらでもない小島、ど派手にいちゃつくせーちゃんけんちゃん(末澤・小島)

・よく吠える小型犬をめちゃめちゃに振り回す大型犬、さのすえ(佐野・末澤)

・長年寄り添った夫婦のような安定感、草マカロン良規(草間・正門)

・個人的に推しているリチャまさ(くさまさや)(草間・佐野)

などよりどりみどりビュッフェ状態ですね。人によって表記は違うみたいですけど。

当方リチャ担のためにTLが偏っており、ついつい時代はリチャ末と草マカロン良規二強であるかのように錯覚してしまうのですが、客観的に見て最大手ってどこなんでしょうか。

 

10. 長編大作のシーズン1を見ている

j-island.net

2019年2月に結成したAぇ。同じ関西ジャニーズジュニアのメンバーと言えど、入所歴や年齢に開きがあったため、グループ結成前はお互いにほとんど話したことのないメンバーもいたようです。上記の動画は2019年3月。まだ結成したてで、どことなく緊張感とよそよそしさが感じられます。

それが結成一周年の動画では御覧の通り。

 

j-island.net

 

いや仲良しかよ。

本人たちもインタビューなどで発言しているように、ライブやツアーなどを乗り越えるたびに、関係性がどんどん密なものになっていっていると言います。コロナの自粛期間中も毎日のように連絡を取り合い、#Aぇのオハコ #AぇTVという企画にチャレンジしながらも関係性を深めていったようです。そうした関係性の変化を見るたびに、名作長編アニメのシーズン1を見ている時のような気持になります。シーズン3あたりであいつらドームツアーするらしいぜ。話し合い、企画を出し合い、お互いに切磋琢磨しながら高めあい、「Aぇ! group」という作品を作り上げていく運命共同体。ジャンプに連載されるのも時間の問題かもしれません。

 

 

 

 

 

というわけで、Aぇ! group を知るための30のフレーズ・前編が終了いたしました。

中編・後編はまた今度!

 

ピッピリ!

 

 

 

 

 

 

KISSIN' MY LIPSが提示するあたらしいジェンダー・パフォーマンス

 
Snow Manのラウール君がDiorとコラボレーションしましたね!
(いつの話題だよと言われてしまいそうですが...)
コラボ動画も本当に素敵で、改めてラウール君のスター性と「魅せる」技術力の高さを実感しました。何回でも見ちゃう。使用されてるリップも本当にかわいくて、自担と同じコスメ使えるラウール担が羨ましい限りです。
 
近年、こうして有名コスメブランドのプロモーションでも男性モデルが起用されていたり、メンズラインのコスメが出されるなど、メンズメイク市場に非常に注目が集まっている印象です。
 
 
近年のファッション業界では、 
genderless(ジェンダーレス:性差のない)
androgynous(アンドロジナス:両性的な)
gender fruid(流動的なジェンダー)
といった単語が注目を浴びているようです。身体的な性差、もしくは文化的・社会的に規定されたジェンダーにこだわらない、典動的な「男らしさ」/「女らしさ」の枠組みを攪乱するような、その境界線をもてあそぶようなファッションの在り方に注目が集まっています。
男性のメイク市場に注目が集まっているのも、そうしたファッション界のトレンドの動きや、近年の世界的なK-popブームの影響があるのではないでしょうか。
以前は好奇の視線を向けられ、「男性らしさ」の欠如のように語られていた男性のメイク文化も、徐々にではありますが、ジェンダーに規定されないような「美を楽しむ行為」「なりたい自分になる行為」として浸透しつつあるのかな、といった印象です。
 
Diorのプロモーションに16歳の男性であるラウール君が起用されたことも、そうした業界の流れを感じます。
 
ところで、ジャニーズ×リップのCMといえば、90年代にカネボウの「Super Lip」のCMで起用されたキムタクが思い浮かびます。
キムタク全盛期の頃のCMで、真赤なリップを塗る姿はまさに美の化身といっても過言ではないくらいです。見て。
 
CMは2パターンあるのですが、
パターン①、ベッドで寝ている裸のキムタク。隣では、パートナーの女性が上半身を起こし、リップを塗る。女性は手に持っていたリップを寝ているキムタクの唇に塗る。キムタクは途中で目を覚まし、「なにすんだよ」とけだるげに女性の手を掴む。笑ったような、女性の真赤な唇が映し出される。
 
パターン②、上半身裸のキムタクが画面のこちら側に真赤なリップの先端を向ける。それを引っ込めると、カメラ目線のまま自分の唇にリップを引き、唇をすり合わせる。画面が変わり、女性の唇にリップを塗るキムタクが斜め下のアングルから映し出される。女性の真赤な唇が映し出される。
 
 
どちらのパターンも最後はカメラ目線のキムタクの「スーパーリップで、攻めてこい」というセリフで終わります。タイアップ曲はSMAPの「胸さわぎを頼むよ」。すこし不器用な、けれども一途に相手の女性のことを思う男性目線のラブソングです。
このCMは男性アイドルが「女性用の」化粧品を身にまとうセンセーショナルなものとして当時話題になったようです。
 
 
 
そして20年以上経過した2020年。
DiorのリップのCMに、Snow Manのラウール君が起用されました。
こちらのプロモーション動画がカネボウのCMと異なるところは、男性と化粧品の関係性ではないかなと思います。
カネボウのCMがあくまで「メイクをする女性」と「女性のパートナーであり、女性が使用しているリップを、女性との戯れにおいて使用する男性(=キムタク)」という対比だったのに対し、
Diorは「リップを使用する男性(=ラウール君)」を描いている。
キムタクは女性パートナーの存在から異性愛者であるということが提示され、またリップの使用も女性ありきであるということが描かれていますが、ラウール君は主体的にリップを使用し、自身有りげに自らの身体でパフォーマンスする存在として表現されています。そこに、女性パートナーのある種言い訳じみた提示は必要とされていないのです。男性が自分のためにリップを使用するというDiorのプロモーションは、広告対象を女性に限定せず、どのようなジェンダーにもひらかれたものとして作られている点がとても新鮮でした。そして、アイドルを起用しながらも、その存在が異性の欲望のもとに客体化されたアイドルとしてではなく、自分の身体を自分の意思で魅力的に魅せるひとりのパフォーマーとして、主体的に表現されているところがとても新鮮でした。
 
 
 
ジェンダー学の理論家の中にジュディス・バトラーという人がいます。その人が90年代に提唱した「ジェンダーパフォーマティブ」という概念があります。ジェンダーとは、生物学的(身体的)性とは別に、社会的的・文化的・歴史的に構築される性のことです。たとえば誰かが自分のことを「男である」と思うとき、もしくは誰かが他人に「男である」と思われるとき、生物学的根拠(男性器を持つとか)以外の「男」の構成要素、これがジェンダーになります。ある社会における「男らしさ」などもこれにあたります。さて、「ジェンダーパフォーマティブ」という概念によれば、ジェンダーというものは、その人のさまざまな行為の原点となるようなある1つの安定したアイデンティティであるというより、その人が行為をある一定のかたちで反復して遂行する(パフォーマンスする)ことで、社会的に作り出されるかりそめのものにすぎないと述べました。つまり男は男というジェンダーを持っていて、それは揺らがない事実である、ということはないわけです。「男である」ということは、その人がさまざまな身振り、動き、演技をパフォーマンスすることにより日々「男である」状態が構成されているということです。そして、そうした社会においてはそのパフォーマンスの性別を「間違える」ことは非難の対象となります。「男」である人が、「男らしい」パフォーマンスをせずに、「女らしい」パフォーマンスをしてしまうことは、社会にとって「逸脱行為」であると捉えられてしまいます。たとえば、お化粧をする男性や、男装をする女性などが、「逸脱者」としてレッテルをはられていた時代がありました。社会は「逸脱行為」を非難し処罰することで、実はかりそめのものにすぎないジェンダーという枠組みの効力を維持しようとするのです。そう考えたバトラーは、ジェンダーの枠組みを揺るがすようなさまざまな種類の行為/演技の遂行によって文化的な場が拡張されることを求めました。
 
こうしたジェンダー論の流れ、パフォーマティブジェンダーに向けての現代社会の挑戦が近年のファッションのトレンドに反映され、またDiorのプロモーションにも反映されたのかと感じました。
 
タイアップ曲であるSnow Manの「KISSIN' MY LIPS」も、歌番組で発表された当初からそうした「ジェンダーレス」な読みに開かれている曲としてとらえていた方が多かったように思います。
全編英語の歌詞。
ワールドワイドな進出を視野に入れているなあと感じたのですが、英語にすることで「I」と「You」の性別が断定されない、とても多様な読み方ができる楽曲になっているのではないかと感じました。男性目線の女性/男性に向けた歌、女性目線の男性/女性に向けた歌、それとも...。こういった様々な読みの可能性に開かれている曲。そもそも、曲の中でそれらが流動的に変わっていく、gender fruidな可能性だってあるはずです。
 
 
Something new
You know what we gotta do
Let's have it all
I see the way you're looking at me
 
一番の歌いだしは、恋人同士のロマンティックでセクシーな誘惑の場面である、と読み取ることができるでしょうか。
私は、観客の欲望のもとに客体化されるアイドルという存在が、そのパフォーマンスの主体性を取り戻す一説にも思えました。Something newとは、そうした期待、あるいは規範を超えるようななにか新しいこと、新しいパフォーマンスであり、それをするよ、しようよ、という誘惑の一節なんじゃないかな〜とも思ったり。「これからすることわかるよね」「全部しようよ」
そう読むと、I see the way you're looking at meも、どんなふうにぼく(たち)を見ているのか知っているけど、I'll never be the same 同じ自分ではない、ぼく(たち)は常に変化し続けるから、Baby you can just count on me then ただ身をゆだねて、ついてきて、という宣言、受け身としてつくられた受動的なアイドルではなく、新しい多様なパフォーマンスの世界に逆にファンを誘うような主体性の提示とも読みとれるのではないかと思いました。
 
Don't care who you used to be
Enough of that
「きみの過去なんて気にしないよ もうたくさんさ」という、包容力のある男性のイメージも想起させると同時に、
「あなたが過去どんな人だったか(どう在ったか)なんて気にしないし、どうでもいいこと。(大切なのはいまあなたがどう在るのかということ)」というメッセージ性も読み取れます。クィア的な読みの可能性にも開けていると感じたのは、ここからです。
 
Kissin' my lips Kissin' my heart
Can't get enough
There is no need to be afraid
これはどなたかがツイッターでおっしゃっていてなるほどと思ったのですが、I kiss youではなくyou kiss meなのですね。恋愛の主導権を握る、行為の主導権を握るという伝統的な男性ジェンダーを撹乱するような、受け身のキス。曲のタイトルからも、そうしたあたらしさが感じられます。
 
Everybody be saying slow down
Just take my hand and speed up
No need to look back
Can you hear me
Let me know your secrets
「みんなは落ち着けっていうけど
ただぼくの手を取って そしてスピードをあげて
振り返る必要なんてない
わかった? きみの秘密を教えてよ」
 
The nights get lonely oh yeah (The nights get lonely)
But those nights over, you're safe, oh yeah
I'm right here for you, so take my hand babe
「さみしさに暮れた夜はもうおしまい もう大丈夫
ぼくがここにいるよ だからぼくの手を取って」
 
ここはアイドル・Snow Manとyou(ファン)に置き換えて読んでもよろしいか…?😭🙏という感じなのですが、楽曲についてあれこれ妄想するのは自由ですので、そう読ませていただきますね。
 
 
こうしたパフォーマティブジェンダーの提示は、ダンスにも表れていると感じました。
クロバットや一体感のあるフォーメーションで、集団としての力や技術を魅せるダンスではなく、個々が自分の身体・魅力をセクシーにアピールするような、バーレスクダンスにも似た印象を受けるもの。とくに印象深かったのが、サビの「Kissin' my lips~」部分でのお化粧の振り付け。メンバーそれぞれの個性も出ていてワクワクしました。
 
 
以上、Diorのプロモーション、歌詞、そしてダンス。これらから、KISSIN' MY LIPSは「男性から女性への、ロマンチックでセクシーな愛の曲」としてだけではなく、「パフォーマティブ、かつフルイッド(流動的)なジェンダー的な読みができる曲」なんじゃないかな〜、そしてもしかしたら「アイドル・Snow Manとしての宣言の曲」という、深読みもできるんじゃないかな〜と感じた次第です。
 
とにかく良曲だなあと思ったし、フル尺・フルメンバーでの公開が楽しみです💛
 
※追記 2020・10・9
KISSIN’ MY LIPS発売おめでとうございます!
私も購入したので、僭越ながら歌詞の全訳をしてみました。
 

something new
You know what we gotta do
Let’s have it all
I see the way you’re looking at me

なんだか新しい気分

これからすることわかるよね

全部しようよ

きみのまなざしを感じている
Oh I love the way
Your lips say my name
I’ll never be the same
Baby you can just count on me then

きみが名前を呼ぶ それがすごく愛おしい

同じところにとどまるつもりはないから

ただ身を任せてついてきてよ
Every time I’m wanting more Every time I know
Tell me baby now Oh yeah

知るたびにもっともっと欲しくなってしまうんだ

ねえ 教えてよ
Don’t care who you used to be
Enough of that

きみの過去がどうだとか そういうのはもううんざり
Come with me I’ll show ya
Things you only dreamed of
Your mouths made to kiss me

ついてきてよ きみが夢でしか見たことのなかったようなものを見せるよ

きみのくちびるはぼくにキスするためにある
Kissin’ my lips
Kissin’ my heart
Can’t get enough
There is no need to be afraid

くちびるにキスを ハートにキスを

まだまだ足りない 恐れる必要なんてなにもない
Everybody be saying slow down
Just take my hand and speed up
No need to look back
Can you hear me
Let me know your secrets

みんなは落ち着けっていうけど
ただ手を取って そしてスピードをあげていこう
振り返る必要なんてない
わかった? きみの秘密を教えてよ

Feel excitement in the air?
Well girl I feel it too
It’s under over inside and out
No way that I’m hiding from you

この昂りを感じる? まあわかるよ 同じ気持ち

どこを探してみたって きみから隠れられっこない
All my friends are jealous of
The way that you move your body
Baby I know just what they mean

友達はみんな嫉妬してるんだ

きみのその体の動きに

彼らの言いたいことがなんなのかわかるよ
Now you can barely believe
Hearts pounding fast
We’re just getting started
Bright light, city’s all ours
Your eyes are saying
Kiss me girl

信じられないかもしれないけれど

心臓はスピードを上げていく

ぼくらはまだ始めたばかり

あのきらめく光だって街だって ぜんぶぼくらのものなんだよ

きみの瞳が訴えている キスしてと



The nights get lonely oh yeah
But those nights are over,
you’re safe, oh yeah
I’m right here for you
So take my hand babe

さみしさに暮れた夜はもうおしまい

もう大丈夫
きみのためここにいるよ

だから手を取って
 
Turn off the breaks, cruisin’ the city
Nothing to worry ’bout as long as you with me
Higher we go we can’t see the floor

But one day not far

We’re going straight to mars

休んでないで 街へ繰り出そう

ぼくといる限り心配はいらない

ぼくら 高くのぼるたびに

フロアーは見えなくなっちゃって 
火星までひとっとびするのもそう遠くない未来
Yeah it’s our time
No left it feels right
Two people find the time to combine
One of a kind play no rewind
Feeling of your lips on mine
Nothings out of our reach

ぼくらの時間さ

なにも残さないのがしっくりくるね

ふたりはひとつになるときをみつけた

誰も真似できないオリジナルのたわむれで やりなおしはなし

きみのくちびるを感じているよ

だれもぼくらに届きっこない

Oh I know you gonna love it
Baby you know that I’ve got it
Tell me what you want
Oh I know you gonna love it
Baby you know that I’ve got it
Let me know your secrets

きみもきっと気に入るよ

ねえ ぼくが手にしたこと知っているでしょう

何が欲しいのか教えてよ

きみもきっと好きになる わかるんだ

ねえ わかるでしょう 手に入れたって

きみの秘密を教えてよ

 

差別について考える

 

 

 

 

こんにちは。

ねみです。

ドのつく新規のAぇ担です。

沼落ちして3か月くらいでしょうか。


つい数カ月前までは関西ジャニーズジュニア全体でリチャードくんしか存じ上げなかったくらいです。Aぇ! groupの存在も知りませんでした。西畑くんってよく見るけど高校生くらいかしら、MCとか頑張っていて偉いなあ、と思ったらまさかの同い年でびっくりたまげました。そこらへんのグループへの沼落ちの経緯やグループの好きなところは、改めて別の記事にしたいなあと考えています。

 

生まれたてのオタクではありますが、自己紹介もそこそこに、結構長めの記事を投稿しようと思います。ここ数週間は普段政治についてあまり発言をしないような界隈の人たちからもよく聞く話題となっていますが、「人種差別」と「差別の再生産」についてです。オタク関連の記事を書こうかなと作った本ブログでこのことについて書こうと思ったのは、それらと私の応援するグループ(さらにいうと私の自担)をからめた議論がいくつか散見されたからです。リアルタイムでの社会の動きとそれに伴う応援するグループのファンダム内での議論に、自分が日頃考えていることがリンクした結果、このタイミングと思いが熱いうちに記事にしなければならないと思いました。

 

自分の気持ちを整理する目的で書いたものなので、無駄に長いですが、読んでくださる方がいれば幸いです。

 

 

 注・このブログに書いてあることは100%私の思想、個人的見解であり、特定のグループやファンダム、個人の思想や方針とは一切関係のないものであるということをご承知おきください。 

 

 

 

  • 自担のはなし


自他ともに認める「関ジュの目印担当」の方担当です。おそらくAぇを知らないひとでも、ジュニアに詳しくないひとでも、まず1番はじめに認識するのが彼ではないでしょうか。私もそのひとりで、「ジャニーズジュニアにひとりアメリカンな子がいるよね」という認識でした。で、いちど釘付けになった目を離すことができないままこの3ヶ月くらいを過ごしています。久しぶりに自担のいる生活というものを経験していますが、毎日がきらめいているやら苦しいやらでとても楽しいです。(#Aぇのオハコ、#AぇTV、ありがとう!)

定評のあるパフォーマンスやお笑いももちろんなのですが、彼の好きなところのひとつに「我が道を極めるところ」があります。よく「自己プロデュース能力が高い」と褒められているのを見るんですけど、本当にそうで。その評価は、みんながタレントとして成功しようと手を変え品を変えやり方を模索する中、「自分に必要なものはこれ」と見極める洞察力と冷静さ、それに向かってコツコツと努力を積み上げる実直さと忍耐強さの表れなのだと感じています。その結果手にしたダンスとお笑い、そして「目印担当」という武器に対しては、努力に裏打ちされた自信も垣間見えて。その自信ありげなオーラもかっこよくて好きなんですよ。

 

そのひときわ目立つ「見た目」に関しても、とても自己プロデュースが上手な方だなあと思っています。ストリート系の服、派手な髪色、前代未聞の髭ジュニアという肩書も、既存のジャニーズ的美にとらわれずに自分がいちばん似合うスタイルを極める芯の強さがあればこそ。めちゃめちゃかっこいいです。


まあ、あとはシンプルに顔が大好きです。

いろいろと御託を並べましたが、ジャニーズに惚れることの本質はこれにあるのかもしれません。

 

 

  • ネタいじりについて

ただファンになって界隈を覗けば、見たくないものも当然見えてくるわけで。
彼がインターネット上で、外見をネタにするような不快なやり方でネタ消費されていると知ってしまいました。いわゆるクソコラというやつ。ちょっと検索すればすぐにヒットするので、それをネタ化している側としては非常にカジュアルなインターネットミームとして使っているのだろうなという印象です。


人の気持ちはどうやったって代弁できませんので、こういった消費が「彼にとって」どうであるかというのは、本人から明確な意思を示されない限り何とも言えないなあと考えています。おそらく彼は何か思うところがあっても言わないひとだとは思いますが。いちファンとしては、私から見ればめちゃめちゃかっこよくて痺れるくらい素敵な自担がクソおもんない一般人にネタにされてて、しかもそれが滑ってると思ったら腸煮えくり返るくらい悔しいです。

彼自身には容姿をひとつの武器に注目を集め、爪痕を残していったという自負もあるといいます。しかし、彼が彼自身の容姿をどのように扱いどのように利用するのかということと、彼の容姿がどのように消費されているかという問題は全く別物として論じられるべきです。

 

 

ただ芸能人の肖像のネタ的な消費って、その行為の是非はともかくとして(個人的にはマジクソだと思っていますが)、容姿に注目が行く職業性質上避けられないことなのかなとは思います。どのようなハンサムにも美女にも容姿をあげつらうようなくだらない連中は湧いてくるわけで。人類70億人もいればユーモアのセンスが幼稚で最低なカスもいるので、粛々と通報&ブロックで対応するしかないよなとは思っています。(アイドルという職業とビジュアル・イメージの消費の是非 のような問題は、まだまだ自分のなかの課題として考え続けていかなければなあと思っています。)

私は誰よりかっこよくて魅力的なタレントを応援できていることに対して誇りを感じているし、くだらないネタが霞むくらい大きな声で愛を叫びてえな…(ポエム)というのが、「自担がネタ的に消費されていること」に対するいちファンとしての感想です。

 

 

そして以下は、ルーツや国籍などを異にするひとが「特徴的である」という理由でネタ化され、それが一種のユーモアとして受け入れられていることに対する、一個人としての表明です。私はそれに断固として反対します。ここからが本編です。

 

  • ネタいじり →「差別の再生産」

私はルーツや国籍、もっといえば身体的性別やセクシュアリティ、容姿、病気、様々な特徴をもった人々を「特徴的である」という理由でネタ化する行為については差別的であり、またそれを面白がったりネタにしたりすることは差別の再生産であると感じます。

私は差別構造を反映した表現(表象)は差別の温存や強化、新たな形の差別の生産につながる、という問題意識を持っています。このような意識から、ネタを単なるナンセンスなジョークのひとつとして片づけてしまうのではなく、日本社会における差別意識が反映された形態のひとつとして真剣に考えなければならないと感じました。

 

 

 

 

メディア表現と差別問題に関する議論として2年ほど前にネット上で活発に議論された問題として、「ブラックフェイス」の問題があります。

 

  • 「ブラックフェイス」の問題とは

www.huffingtonpost.jp

 

2017年の年末に放送された「笑ってはいけない~」で、ダウンタウンの浜田がアメリカンポリスのコスプレをする際に顔を黒く塗って登場し、物議をかもしました。放送されるや否やこれが「人種差別的である」と炎上。数日後にはイギリスのBBCアメリカのNYタイムズといった大手メディアで報じられ、日本における人種差別への配慮の無さが問題として取り上げられました。欧米では非・アフリカ系のひとが顔を黒く塗り彼らのモノマネをする行為は「ブラックフェイス」と呼ばれ、きわめて侮辱的かつ差別的な風習としてタブー視されています。それはかつて、社会的に優位な立場である白人が社会的に劣位に置かれている黒人を侮蔑し、嘲笑するお笑いのネタとして「ブラックフェイス」がとてもポピュラーだったという歴史があるからです。民主化が進み、法により人種差別が禁止された後も、肌の色による差別は、日常生活で浴びせられる心無い一言や態度として、目に見えない社会における暗黙の不平等として、またときにははっきりとした暴力の形で現れ続けてます。それこそ、肌の色が理由で警官から不当な暴力を受け、命を奪われてしまったり。被差別側の立場にとって人種差別とは決して過去の歴史などではなく、現在も逃げることのできない日常なのです。#Blacklivesmatter (黒人の命も大切である)のハッシュタグはこの数年間絶えることなく、そしてこの数週間はとりわけ世界中でつぶやかれています。日本のバラエティ番組のお笑い表現がこれだけショッキングなニュースとして海外メディアで取り上げられたのも、人種差別の悲惨な歴史と、それがいまだに「過去」のことになっていないという現実が背景にあると感じます。

 

  • 「差別が存在しない」は本当か

いっぽうで、上記の浜田の一件について、こんな擁護の声もありました。「アメリカでは人種差別が深刻な問題かも知れないけれど、日本では黒人に対する差別の歴史がない」「そのため、顔の黒塗りも日本では差別に当たらない」「差別を意図してやった行為ではない。そのため、差別には当たらない」(日本テレビ側が抗議を受けて出した声明はこれでした)「なんでもかんでも差別だといわれてしまう、窮屈な世の中になった」(浜田の相方である松本は特にこういう態度ですよね)

などなど...

 

まず、「日本では黒人に対する差別の歴史がない」これは本当にそうなのでしょうか。法務省統計によると、2019年6月時点で在留外国人数は282万9,416人となっています(参照:

法務省:令和元年6月末現在における在留外国人数について(速報値)

)。この中で何割の人がいわゆる「黒人」として扱われるのか分かりません。しかし、帰化した人、両親などにルーツを持つ人含め日本国内で「黒人」として扱われるひとの数でいうと、結構な数になるのではないでしょうか。日々の生活の中で、肌の色は違えど「外国人だから」という理由で差別を受けている人を一度は目にしたことがあるはずです。自分の半径数メートルで「差別」と感じられる事例がなくても、社会に住む一人一人の生活の中にある逃れられない差別や偏見について想像をめぐらせれば、「日本には黒人差別がない」と簡単に言い切ってしまうことがどれだけ無責任な発言か考えることができるのではないでしょうか。

 

news.yahoo.co.jp

 

  • 「差別」と「再生産」

では「顔の黒塗りは日本において差別として行われていた歴史はない、よってこれは差別ではない」「差別を意図してやった行為ではない。そのため、差別には当たらない」という主張はどうなのでしょう。
「ブラックフェイス」が実際に日本において明確な差別意識をもって行われたという事実があるかどうか、などは調べようがありません。ある日ある場所でそのようなことが起きたことがあるかもしれないし、ないかもしれない。ましてやテレビ局がどのような思いで放送したかなど、知る由もない。私が現在学んでいる表象研究では、「差別する意図があったかどうか」という発信側の問題ではなく、「その表現は受け取る側(視聴者)の目にどのように映るか」「それを受け取る側がどう考えたか」が大切であると考えます。黒塗りがたとえ日本において差別として行われた事実がなくても、「差別を意図してやった行為ではない」とテレビ局が言い訳しようとも、2017年の大みそかに、多くの人が見るような大人気番組の冒頭部分で、影響力絶大な人気タレントが「黒人のキャラクター」を物まねするために肌を黒く塗って登場したことだけは紛れもない事実としてそこに存在します。その事実を単体で見ても、多様で深みのある個人を肌の色だけに単純化・記号化して表示する侮蔑的な行為と言えるのではではないでしょうか。少なくとも、「黒人差別」について世界史的な知識があり、その差別意識は「ブラックフェイス」のようなネタで強化され浸透していった、ということを知っていれば、その表現は「差別的である」と受け止められると思います。実際に放送を見て「人種差別的である」と感じ抗議した人がいて、この問題は「問題」として多くの人の目に触れることになりました。

 

そしてその「肌を黒く塗って黒人キャラクターの物まねをする」という行為に対して笑いが生じたことも、それが電波に乗って全国の茶の間に届けられたことも事実です。果たしてそれは、視聴者、とくにメディアの表現を真に受けてしまう子供たちにどのような影響を及ぼすのでしょうか。私たちの多くは、人気のテレビ番組が子供社会においてどれだけ影響力を持っていたかを経験によって学んでいると思います。無邪気で無知な子供たちは、大人の生み出した差別的な表現を残酷にもそのままコピーします。単なるネタとして人種差別的表現を垂れ流す大人の無知と怠慢によって苦しめられるのは、小さな学校の教室に座っている、外国にルーツをもつAくんだったりするのです。マジョリティがネタとしてカジュアルに行う差別は、マイノリティにとってときに凶器となります。テレビの中でコミカルにおこなわれているアフリカ系移民のテレビタレントのカタコトへのイジリが、現実の世界で暮らす移民の子供たちの教室内での平穏な生活を脅かすかもしれません。

 

また、上記のように、日本にも「黒人」と呼ばれているひとはいます。嫌が応にも「人と違うこと」を意識させられる同質性の高い日本社会を生きなければならない彼/彼女たちにとって、「肌を黒く塗って黒人キャラクターの物まねをする」という行為でタレントが笑いを集めている場面はどのように映るでしょうか。

 

  • 表現に対して敏感になること

芸能人のインターネット上での容姿いじりとどう関係があるんだよ、と思われるかもしれません。テレビ番組、それも多くの人が視聴しているような大みそかの特番の影響力と、SNS上で少数の人がネタにしているインターネットミームでは、比較にならないと思われるかもしれません。実際のところ、ネタにしている側のほとんどは、SNS上のちょっとしたジョークとして表現しているだけであり、そこに明確な「悪意」や「人種差別」の意図があるわけでないのだろうな、とは思います。推測に過ぎませんが。しかしながら考えるべきは、多様で複雑なはずの個人のあるひとつの特徴が恣意的にピックアップされ、その特徴によってひとつのカテゴリーに放り込まれて乱雑に認識されている、という点(Aさんではなく「ハーフの人」というような雑な理解)。そして、その特徴を強調・誇張する形でネタにされている事実と、それがネタとして面白おかしく消費されているという事実ではないかと思います。

たかがインターネット上の小さなコミュニティ内のネタかもしれませんが、本質の所では、もっと深刻な差別の再生産につながるような表現の問題と共通しています。そのような問題をはらむネタをカジュアルに無神経に楽しんでしまう、その「軽さ」を、私たちはもっと深刻に考えなければならないでしょう。その根底には、表現の持つ力の軽視と、「差別」を自分たちの生活とは関係のないものとしてとらえている無責任さがあると考えます。まさかたかがネタが差別の延長線上にあるものであるなんて考えもしたことがない、といったところでしょうか。

 

例えば「ハーフ」(この表現も、最近では使わないほうが良いとされています。ここではあえて、差別的な表現の例として用います。)ネタを例にとってみます。なぜ「ハーフ」であることがイジリとして成立するのかというと、それは「ハーフ」という特徴が日本社会によって重視されているからです。なぜ社会において「ハーフ」か否かが重視されるかというと、そこには血統主義、人種主義的考え方の影響があるからです。つまり、「血統」や「人種」といった概念を持ち出して、ある特徴(外国にルーツを持つ)といった人をひとところにまとめ、そこに「ハーフ」という名札をつけることで、その他「普通の」日本人から切り離しているということです。そうやって分断された「普通の」日本人と「ハーフ」との間には、明確に権力格差が存在します。平等じゃありません。だから問題なのです。そしてそのような問題を孕んでいる「ハーフ」をことさらに強調するようなメディアの表現は、そのカテゴリーの持つ力をさらに強めます。

メディアでの表現は私たちの日常生活に非常に強い影響力を持ち、一人一人の意識に影響を及ぼします。テレビ番組は既存の規範を強化したり、新しい常識を創り出すメディアです。SNSは、自分の属するコミュニティーの「ノリ」というのが濃くなりがちで、それを一般常識であるかのように錯覚させる力があります。

これが、メディアでの表現が差別的であるかどうか敏感に判断されるべき理由であると思います。イジりは社会の差別意識を反映したものであり、そしてそれは差別構造の強化につながるものでもあるからです。単なるナンセンスなジョークのひとつとして片づけてしまうのではなく、差別とひとつなぎのものとして真剣に考えなければならないと感じています。

 

 

  • 「差別」は他人ごとではない

また、その「軽さ」には、自分たちの行為と差別を結び付けて考えないという、「差別」を自分たちの生活とは関係のないものとしてとらえている無責任さもあると思われます。その特権性を問題視したいのです。

 

 

 ルーツや肌の色、国籍だけではありません。性別や容姿など、生まれ持った性質をいじるネタというのは至る所にカジュアルに存在し、いちいち取り上げていたらきりがないと思われるほどです。そして、「差別」「排除」「暴力」はもちろんいけないことだし怖いことだからやめよう、ラブ&ピース!と訴えたその人が、差別的なネタには鈍感だったりむしろそれを楽しんでいたりというのはままあることです。

差別は太平洋を挟んだ遠い外国で起きている問題ではなくて、私たちの暮らす社会で確実に起きていることです。自分たちの住んでいる社会にも人種や国籍やルーツや居住地、性別やセクシュアリティや容姿等で差別されている人たちがいます。身近なところでは、移民差別や、在日コリアン・中国人の方への差別、被差別部落問題、セクシュアル・マイノリティ差別など。これらマイノリティに含まれる方々にとって差別問題は決して対岸の火事などではなく、この社会で生きていくには逃れられない日常です。差別について頭を痛めて考えたことがない、そうしなくても生きてこられたということ自体が、マジョリティゆえの特権です。そして、その社会を構成する一員である以上あなたも私もそれらの差別に無関係などでは決してなく、わたしたちの日々の政治的、文化的選択や指向、楽しんで観ているテレビ番組やSNSの使い方を通して、差別や差別の再生産に加担しているということです。大切なことは、世の中の人を「差別的な人」か「差別的でない人」に分断するのではなく、私たちは全員「差別すること」から逃れられないのだと自覚することだと思います

私は大学での学びなどを通して人種差別問題にはある程度敏感になりましたが、つい先日も自分の発言を顧みて「あれは学歴差別だったな」と気づき、落ち込むことがありました。 自分が差別に全く無関係だという思い上がった態度を辞め、自分の特権性に自覚的になること、常に自分の視点が正しいわけではないという視点を持つこと。そして常に学びの姿勢、多様な視点から物事を観ようとする柔軟な姿勢を失わないことが、差別と向き合っていく上で大切なことではないでしょうか。

 

 

  • 窮屈な世の中 生きやすい世の中

「何でもかんでも差別と言われてしまう、窮屈な世の中になった。」という論調があります。とくにダウンタウンの松本は一貫してこのようなスタンスをとっています。ネット上においても、「言葉狩り」という言葉がさぞ「本来は問題ではないような些末なことが、一部の声の大きい層のせいで問題化されてしまっている」とでもいいたげな使われ方をしています。本当にそうなのでしょうか。

人の容姿をあげつらったり、出身やルーツ、性別など生まれ持った属性への偏見をネタにしたりすることは、古くからとてもポピュラーなお笑いでした。太っている人、頭髪の薄い人、不細工な人、日本出身じゃない人、それ故に片言の人、肌の色の違う人...。「いまの時代は自由にお笑いもできない。窮屈な世界になった。昔はよかったのに」と感じているお笑い芸人の方も多いのではないかと思います。しかし、その「自由に差別ができた昔」が居心地よく感じられていたことこそ、その人がいかに特権的な立場でぬくぬくと過ごせていたかの証拠だと感じます。被差別側からしたら、昔は届かなかった差別への異議申し立てが、ようやくマジョリティに取り上げられるようになった、それだけでしょう。それは、一部の声の大きい層の策略などではなく、インターネットの発達によって、それまでは声が与えられていなかったマイノリティたちが発言の場を手にしたことが大きいと思います。SNSの発達によって、従来は声を上げることができなかったマイノリティたちの小さな声が、マジョリティの大きな声と同じプラットフォーム上に登場するようになりました。そこで、自分たちの特権性に自覚的になり、マイノリティの声に耳を傾け、社会を変えようとするマジョリティが増えていっている現状があります。一度「おかしい」と感じてしまったこと、感じてもいいんだと気づいてしまったことに対して、人はもう以前と同じようには接することができません。知識を得て、新たな価値観を学んだ人が、昔楽しんで観ていたお笑い芸人のネタがモヤモヤして見れなくなってしまった、という話を周囲でよく聞きます。以前見られた、トークバラエティなどでよくみられる人の属性や特性や差異を「イジる」笑いが、徐々に受け入れられない時代に変化しているということなのでしょう。令和の時代においては、誰かの特徴をけなしてとる笑いよりも、人を傷つけることのない安心感がありつつも、そこからあたらしく生み出される笑いが求められていると感じます。ぺこぱやミルクボーイが「人を傷つけない笑い」筆頭として言われ人気になったことからも、そのような時代の変化と需要が感じられます。番組の視聴者とスポンサーの顔色だけ窺っていればテレビ番組が作れた平成までの偉大とは違い、令和時代のテレビ番組で必要なのは、マジョリティマイノリティ関係なく多様な人が見ることを前提とした、より「ポリティカル・コレクト」な視点です。その視点を欠けば、炎上という名の異議申し立ては避けられないでしょう。

 

 

それに伴い、芸能人の意識にも変化が見られます。欧米のセレブリティがガンガン政治的な発言をするのに比べると、社会問題を提起することに消極的である印象の強かった日本の芸能人ですが、その風潮も変わってきています。デビュー当時は「太っていること」を自虐することも多かった渡辺直美が、ありのままの自分の魅力を肯定するボディ・ポジティブなスタイルを示すようになったこと、水原希子が自らのルーツについて明かし、国籍や性別への差別に関し積極的に問題提起をしていること、ぺこ・りゅうちぇる夫妻が従来の性別役割分業的な夫婦の在り方について異議を唱えていること、などなど...。ジャニーズ事務所でも、Sexy Zoneのマリウス葉くんはフェミニズム的視点から、社会のジェンダー観を変えていこうというエンパワメント的発言を積極的にしています。

www.harpersbazaar.com

www.huffingtonpost.jp

wezz-y.com

そういう人たちを積極的に支持していきたいし、そういう人たちが成功する世の中であってほしいと願います。逆に言えば、いつまでも古き良き時代にしがみつき、昭和・平成的な価値観に固執するようであれば、前時代的なテレビ番組・タレントとして、テレビ文化と共に忘れ去られていくだけでしょう。それはジャニーズタレントに関しても同じこと。その人気から多大なる影響力を持つジャニーズこそ、社会的・文化的責任もそれ相応のものを負っていると思います。ジャニーズのコンテンツが時代遅れのものとして葬り去られないためにも、事務所関係者並びにタレント一同にはコンプライアンス研修を設けてほしいものです。そしてジャニオタとして、社会のいち構成員として、応援している人たちであっても常に厳しい目線を向け、受け入れられない表現には積極的に拒否の意思を示すことで、差別意識の再生産を自分たちの手で断ち切りたいと思っています。

 

 

  • おしまいに

現在の日本社会は、今まで放置していた、社会の中のカジュアルな差別意識と無神経なネタ化の問題に向き合おうとしている途中であると感じます。問題意識を持っている人の数は徐々に増えてきてはいます。しかしそれに断固とした拒否の態度を示す人の数は少ない。浜田の事例が「賛否」両方をもって論じられたことは、それを表していると感じます。差別問題は太平洋を挟んだ遠い外国で起きている他人事ではなく、まさに私たちの問題であり、自分が生産と再生産に携わっている問題であるのです。そのことを念頭に置き、視野狭窄に陥らないように学び続けること、他人の視点を想像する努力を怠ってはならないと感じます。そして、とくに自分が何を表現するか、どのような表現を受け手として消費するか、ということについて、差別の当事者意識をもって考え続けなければならないと感じます。

もちろん、全てのひとに配慮をした表現ってできるわけがなくて。大切なことは「できるわけがない」から「不快ならば見るな」と切り捨てるのではなくって、「できるわけがない」かもしれないけれどより多くの人にとってのより良い表現を見つけるために修正と改善をし続けることではないかなと思います。

 

 

時代は変わり続けるし、いい方向に変え続けていかなければならない。

大切なのはその流れを止めないように取り組みを続けることでしょう。

 

youtu.be

 

 

 

 ※追記 (2020/6/11)

ありがたいほどにたくさん反応をいただき、たくさんの人のご意見を見るなかで、補足しておこうと思ったことを書き足します。

 

改めて強調したいのが、差別は0か100かで論じられるような単純な問題ではないということ。これは完全に差別でこれは完全に差別じゃない、と雑に判断することはできないと感じています。その判断する人でさえも、結局は何かのバイアスがかかっているのだから。そして、「人種」というひとつの指標だけではなく、表現にはジェンダーや病気や容姿や出身、様々な要素が絡み合います。ある視点から見れば平等に思える表現でも、視点を変えてみると差別であったりするのです。

 

じゃあ差別ってなんだよ、となると思うのですが、私が言いたかったことはまさに「差別ってなんだよ」と考え続けたいという話です。差別を見つければ安心、という話ではなく(おそらく「正解」とされることは日々変わるでしょうし)、頭を悩ませて苦しんでモヤモヤして、自分が今まで楽しんでいたコンテンツをもう以前のように楽しむことができなくなるかもしれないという痛みを乗り越え、じゃあよりよい表現のためにどうすればいいのか考える。それが、自らの特権性に向き合うこと、学び続けることなのかな、という理解でいます。

 

そしてもうひとつ。

当事者としての表現/部外者がする表現

影響力のあるメディアの表現/個人の表現

影響力のある芸能人の表現/一般人の表現

自分自身に関する表現/一般化した表現

 

以上はすべて分けて考えられるべきだし、そこには権力の問題が存在するということです。表現の自由の問題やアイデンティティ・ポリティクスの話題につながってくるところでもあります。本記事では部外者(つまり、マジョリティ側の人間)がマイノリティを扱う表現、影響力のあるメディアにおける表現というものに主に焦点を当てました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 追伸 思い出したように自担の話

私たちが社会の成員として差別の再生産に加担しないために必要だと思われることについてつらつらと書きました。ジャニーズ全く関係ないじゃん、というつっこみがあることは承知の上でございます。タイトル詐欺でした。

取ってつけたように、最後に応援しているグループの話に収束させようと思います。

自担はこれまで、「見た目が外国人」なのに中身は生粋の日本人というキャラを前面に押し出してお笑いポジションを獲得してきました。

これに関しては、私は相反する思いを抱えています。

ひとつは、容姿をひとつの武器と定め、険しい芸能界をここまで生き残ってきたその姿勢に対する感動と称賛です。人と違うということに対して自信を持ち、それを武器にオリジナリティある戦い方をする彼の姿勢を、純粋にかっこいいなあと思うのです。

一方で、見た目に関するネタというのは、ステレオタイプ的な価値観や偏見を助長し再生産してしまう恐れがある、きわめてリスキーなお笑いだと感じています。そして、時代遅れだとも感じています。それは、このブログ記事を通して論じてきたことからも分かるように。やはり応援しているグループはかわいいし、うっかりしてしまった表現が炎上する、といった風にはなってほしくないです。なにはともあれ、ジャニーズ事務所のタレントという人気も影響力もある存在である以上、自分たちの表現が及ぼす影響の大きさに常に自覚的であってほしいなあと切に願っています。

欲を言えば、そういった多様性に敏感でポリティカル・コレクトな、なのにめちゃめちゃ面白いお笑いを提供できるグループを応援したい。

そして私は、Aぇ! groupには確実にそれができると思っているのです。ファンの贔屓目かもしれませんが。

それを感じたのは、グループの二年目の課題として挙げられた「リチャードくんをいじれるようになる」という目標と、その後のメンバーの関係性の変化でした。彼がキャラとして持っている「見た目が外国人」というイジリを安易にせず、あたらしい形のイジリを模索する姿勢。先日の#AぇTVで佐野君福本君が必死になって見つけだした「嘘つきイジリ」は、彼らの努力の段階を感じることができるようでほっこりしました。(リチャくんには「馬鹿の一つ覚え」ってばっさりいかれててかわいそうで笑ったけど)

あとは、同じく#AぇTVの中であった「もし恋愛をすることができたら、恋人に求める条件は」という質問。(おそらく、福本君が小島王の時に作成した問題じゃなかったでしょうか。)こうした細かい表現でも、「彼女にするには」ではなくて「もし付き合うことができたら」「恋人」という言葉選びをするのだなあと、とても感動したのです。本人が意図したことかどうかは分かりませんが。

 

こんな風にちょっとずつちょっとずつ、彼らが武器にしている「関西の色」を維持しつつも、国籍やルーツ、ジェンダーセクシュアリティや容姿等、様々な方面に配慮したポリティカルにコレクトな笑いの作り方について模索しているのかなっていう気がします。勝手な想像だけど。

Aぇ! groupはメンバー全員が、全員がまじめで優しく、他人の境遇への想像力と思いやりを持つ人たちだと思っていて。そして、世の中の流れを客観的に読めるの洞察力と賢さ、柔軟さとセンス、なにより、お笑いの手段をいっこ失っても自分たちで笑いを生み出せるクリエイティビティを持つ奇跡のグループだと思っています。

 

令和の時代を無双する、歌って踊れてバンドも組んでいてその上お笑いもできる、最強のアイドル集団になれると信じているし、なってほしいなと切に願っています。そんなポテンシャルを秘めた人たちを応援することができて、今日も幸せです。